6.15  ロミ(最初にがれき反対運動を北九州で立ち上げた人)は1人で北九州市長宛てに「ガレキ受け入れ反対の署名」を提出後、活動を終了した。

以後、ロミとの連絡は完全に途絶えた。


✳️ロミの旦那は東芝(東京に単身赴任)の社員。ロミは東京に戻った。


6.16  小野 俊一医師講演会【北九州市・小倉】(ひなん者お話会主催)

✳️この勉強会もゴタゴタした。講師を呼んだ人が、弾き出された形になった。(私はこの講師も信頼していない)


6.20  北橋市長が石巻ブロックの震災ガレキ受け入れを正式に表明した。


✳️北九州市が受け入れを正式に表明した後も、反対運動の中では漁協は反対してることになっていた。子どもにだって「漁協は反対してない」ってわかることが、反対運動の中だけは「漁協は反対してる」「マリパロンは嘘を言っていない」とおかしなことを言い続けていた。


6.21   鹿島JV2重契約について、第1回目の記者会見。


✳️記者会見の内容は、青木 泰(アオーキ)のスクープとして有名ですが、二重契約問題に気付いたホーリーさん宮城県に電話取材をし、契約がおかしいことに気が付き、それをホーリーさんが文章にまとめたものでした。


私は心配になって、隣にいたマリパロンに「二重契約の証拠はあるのですか?」と聞いた。マリパロンは「今、エスベンが宮城に行って証拠を集めているから」と答えた。


私は、エスベンが確たる証拠(裁判で使えるもの)を持ち帰ってきてくれることを期待していたが、二重契約について2回目の記者会見で証拠として出したのは、宮城県から開示された、裁判で使える証拠にはなりそうもない内容の乏しい文書でした。


2回目の記者会見当時、二重契約についてアオーキやエスベンは契約内容も、詳しい内容も説明出来ませんでした。


宮城県に電話で説明を求めたホーリーさんが記者会見で二重契約の内容を集まった新聞記者たちに説明していました。


記者会見に集まった新聞記者たちは、誰もメモを取りませんでした。記者会見場がシラケた空気。素人の私でも、二重契約ネタでは裁判しても無駄だとわかりました。


私より、知識も経験もある弁護士のエスベンならわかるはずなのに、わざわざ宮城県まで行ったことは、流石におかしいと思いました。


このままじゃひなん先で放射性物質を燃やされてしまう。自分に何ができるか、必死に考えました。