小説、普通の暮らし~過去の話はここから見て下さい。

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この作品はフィクションです。実在の人物、団体、事件などにはいっさい関係ありません。
ーー普通の暮らしを持続させるためには、相当の努力が必要である。

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最初のお話会で出会った古川は絵本作家で専業主夫だった。

パートナー(臨床心理学の大学講師)とは結婚という形をとらずに一般的な夫婦の役割分担が逆になった感じで、昼間も夜もお話会に協力してくれていた。

協力する代わりだったのか、古川から、都合の良い時、パートナーが自主避難者にインタビューしているから応じて欲しいと言われた。

(後に真子のバイト先に来ていたスタッフが古川のパートナーと一緒に、北九州市に自主避難した人達を集めて茶話会を北九州市協賛で定期的に開いていることを知った。)

真子はガレキ反対運動を広めるためなら、何でもすると決めていたので、古川のパートナーのインタビューに応じる約束をした。

そんなある日、

山口県や福岡市、共産党議員の奥さんや地元北九州の環境を守る会のメンバーもお話会を聞きに来たお話会があった。その中に福島から自主避難してきた鈴木弁護士との出会いがあった。


ここで少し、
ひなん者お話会の様子を紹介しよう。


毎回2、3人の自主避難者が交代で福島第一原子力発電所が爆発して、自主避難するまで自分達が経験したことを話した。

話し手は放射能汚染の専門家ではないから、自分達の経験しか話さないのだが、共通していたのは、放射能汚染を避ける自由が許されなかったことだったと思う。

住んでいた場所で放射能汚染を避けることを許されなかった経験をして、避難することを選んだと言う人が多かった。

中には、フクイチから60km以上離れていたにも拘わらず、爆発する前に福島を脱出した人もいたが、爆発するという情報がどこから来たのか謎だった。


殆どは放射能汚染を知らずに半年以上汚染された場所で生活し、何らかの体調変化を感じ自ら色々調べた人が多かった。

話し手の体験談が終わると、話し手の数に合わせて2、3グループに別れてグループトークをした。

話し手が話したことについて、質問する人の多くは、ガレキ受け入れに賛成だったけど、今日の話を聞いて汚染が少なければ受け入れていいという話ではない事を理解した。


中にはテレビの報道を見ると、原発事故は既に収束したと思っていたので、私たち自主避難者の話が信じられないと率直な感想を言う人もいた。



中には、涙を流しながら、真子達の話を聞いて、今の暮らしを心配してくれる人、知り合いにも伝えると言ってくれた人もいた。

色んな人がいる中、鈴木という弁護士は、

なんか、回りと雰囲気が違っていた。


鈴木は、真子が話している時も、眼光鋭く、--ガレキ受け入れ賛成派--かな?、、という印象だった。


グループトーク終了後、真子は鈴木に話しかけられ、鈴木が福島からの自主避難者であることを知り驚いた。


Γ本田さんはいわきのどこから来たの?」

Γあ、いわき知ってるんですか?」

真子は、この眼光鋭いおじさんから、懐かしい東北のイントネーションで話しかけられた。

Γ知ってるよ。僕は郡山から自主避難して来たんだよ。」

Γあ、郡山ですか、、私はいわき駅の近くに住んでました。」

Γあー平げ。いつこっちに来たの?」

Γ今年の1月です。」

Γ僕は去年の夏頃かな、、でね。僕こうゆう者なの。」

眼光鋭いおじさんは、名刺を差し出した。

差し出された名刺には、自分の法律事務所の住所と弁護士という肩書きが書いてあった。北九州市に住んでいる人ではなかった。

Γあ、鈴木弁護士ですか、、こちら(福岡県)でも法律事務所を開いたんですね。お互い本当に大変でした。東電腹立ちますよね。

いわきで市民運動の中に入った弁護士に良い印象がなかったし、真子が話している間、鈴木から感じた何とも言えないイヤな雰囲気もあり、真子は、早々に会話を切り上げようとしたが、

それを感じ取ったのか、鈴木はいきなり本題を切り出した。

Γあのね、本田さん。旦那さんと離婚同然でこっちに来たんでしょ?僕は向こう(郡山)では、特に夫婦の問題をやってきたんで、色々力になれると思うよ。生活費のこととか、、色々あると思うから、連絡して。」

と、言ってガレキのことに触れずに帰って行った。


これが真子と鈴木弁護士の最初の会話。

、、、、営業??
何しに来たのか謎だった。

連絡なんかしないよ。

旦那とのことは、

自分で何とかなるもん!