暫くフリーズしてたけど、投稿できっかな?

パソコンが古いからかもしれません。お騒がせしました。

 

告白2

 

自分用に、当時のことをメモってます。

興味ない方はスルーしてください。

 

鹿島JV二重契約問題を取材したH女子についての記憶。その他思い出したことを当時反対運動にかかわった人たちのメモです。

 

これらのメモから読み取れるのは、

 

1:協力者として反対運動に入り込む工作員がいるということ。

 

2:勉強会やイベントは諸刃の刃であること。

 

3:反対運動、啓蒙運動には、必ず工作員が入り込むと分かってやらないと乗っ取られてしまうこと。

 

4:1,2,3を踏まえて勉強会やイベントをやるには経験と知識が必要であること。


5:ヘロヘロになって傷ついてΓ二度と関わりたくない」と思わせるのも工作員の仕事だから、:Γそれでもやったる!」って勇気を持ち、やり続けること。

 

注:工作員の中には法律に明るい弁護士や行政書士、司法書士なども含まれます。ご注意ください。

 

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(小説のためのメモ)

 

覚えているうちに神子さんにメールしておくね。

 

ひなん者お話会を去年の3月30日31日、4月1日と3日間初公演しました。


そこで早速ボランティアを名乗り出てくれたのが、T郎くん(後に産廃に勤務とわかった)とH女子さん(鹿島JV二重契約問題を取材した人)と漫画家さん(H女子さん曰くスパイだった人)。

 


お話会終了後に会場の時間が余ってたので、お話会の手記の製本をしてたらH女子さんが手伝ってくれて、最後まで一緒にいて、
その後どっかでご飯食べようとなって、そのままスタッフとして一緒に行動していました。同時にT郎くんもビラまきや会場スタッフとして加わったし、漫画家さんはお話会の会場を提供してくれた。

 

H女子についての記憶ですが、彼女最初は、ポスティングなど自分のペースでできることしかやりたがらなかったです。

 

F氏(原発を廃炉にする会?会長)に、「自治会長にアポをとってくれ」と言われて困っていました。

 


そのうち、講演会を自分で企画したいと言い出し、企画運営をやるようになりました。


その後は記者会見にもちょっとお洒落して出てきて、それが鹿島JV二重契約問題記者会見の時でしたね。

以前昼夜、H女子がつけられてるという話は、本人から聞きましたが、その時信じられませんでした。当時彼女も疑心暗鬼になってたようで、私のメールにもピリピリしてたみたい。

 

H女子の件も今から思い返すと不思議なことが多いです。

 

あと、私たち避難者についての風当たりも結構強かったです。


当時から反対運動の中には

「避難者は邪魔なんですよ」という声がありましたし、

 

あの頃は私も神子さんも肩身が狭かったですよね。あんたらはお話会だけやってればいいから~みたいな空気。

 

漁協の反対や自治会長の反対に疑問を抱くことも許されないような空気がありました。

 

私たちが地元の人たちに事実を伝えようと始めたひなん者お話会は、いつの間にか知り合いばかりが参加するイベントになってしまってましたし・・・

 

毎週火・木曜日お話会、金曜集会をこなすだけでヘトヘトになって、冷静に考える時間とお金を削がれてしまいました。

 

この毎週火・木曜日お話会、金曜集会を誰が決めたのか聞いたら、みんな知らなかったしね。


結局、既に運動から消えてしまったH女子が勝手に決めてチラシまで配ったってことになってましたね。


ボイスレコーダーの購入やスパイ云々も、色んな問題は、なんでもかんでもH女子のせいにされていました。

 

そうそう、あの弁護士も、ひなん者お話会に来てくれた一人でした。チラシ見て来たってことだった。あっという間に反対運動の中心になりましたもんねえ・・・

 

漁協の反対はないのに、

漁協の反対があるから、焼却灰を埋め立てられず、それで止めてるっておかしな話だった。おかしな点を指摘するとすっとぼける始末。

 

いま振り返ると、

どっちサイドの弁護士だったんだろーねー。

 

いやはや、イベントや勉強会には多くの工作員が入り込んでくるって知っていれば対処できたのに、その認識が足りなかった。

 

認識が足りないだけでなく、お人よし過ぎました。

 

 

また思い出したらメールするね。