北九州職員との「ガレキ受け入れに関する公開質問」が開かれる3週間前、

 

 

真子が11月末から丸4か月取材を受けた番組が放送された。(4月中旬)

 

 

番組は、震災後の浅田さんの活動を追ったドキュメント。

 

 

浅田さんの活動は、

 

宮城の家族と、真子の家族の支援活動だった。

 

 

真子は、プロデューサーの残間さんから

宮城の家族も追っていることを聞いていたが、

詳しい内容は放送されるまで知らなかった。

 


番組が放送される少し前、浅田さんから


「一緒に夕飯食べながら、番組を見ませんか?」と

真子は浅田さんの自宅に母子ともに招待された。

 

 

真子は「勿論、伺います」と返事し、

放送される夕方、浅田の自宅に向かった。

 

 

 

真子は避難の支援を受けたこの団体に感謝していた。

 

中でも代表の浅田さんを信頼し、尊敬していた。

 


浅田さんは真子と同年代だった。

 


真子は世間に無関心で、趣味と実益を兼ねた音楽の世界にしか興味がない世間知らずだったが、

 

 

一方の浅田は、ボランティア活動の第一人者で、行政はもとより、国会議事堂にも足を運ぶような人だった。

 

 

政治家や企業を相手に、

 

困っている人のために自分の時間を使い、

 

企業から資金を得て社会貢献のために使っていた・・というか、そう見えた。

 

 

真子は浅田さんと出会ってから、

 

浅田さんは自分と同年代なのに、

 

えらい差がついてるなあーって、

 

 

自分の生き方を反省していた。

 

 

 

放送を見る、美味しい食事会には、


真子の避難を支援してくれたCOOPの職員やNPOの職員。

浅田さんのボランティア活動の支援者。

真子と同じように浅田さんの支援を受けた人たち。

 

 

浅田さんの支援者や友人、知人が15人ほど集まっていた。

 


みんなとの楽しい時間が過ぎ、

いよいよ番組が放送される時間になった。

 

 

 

集まった人たちも、一斉にテレビを観た。

 

 

 

真子も見た。

 

 

 

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絶句した。


浅田の自宅に呼ばれた人たちが、談笑している中、

 

真子だけは血の気が引いた。

 

 

 


真子の家族の他にNHKが取材していた家族は、


石巻の小さな漁港で牡蠣の養殖を営んでいる家族だった。

 

浅田さんは、その牡蠣養殖業の再興を支援していたんだ。