この黒川との会話、黒川がガレキ受け入れに反対していないことを、自主避難者である外山に打ち明けた。


反対運動の主宰が反対じゃない~という信じらんない事態に二人とも驚いたが、落ち込むのは後にした。


もう黒川には頼れない、自分たちで何ができるか考えよう、ってことになった。

 


とは言え、


ウチらは素人で、何も分からないから、

取り敢えず同志を集めることにした。

 

 

結局、またお話会を開催して、人を集めようということになった。

 

 

3日連続のお話会の最終日に、会場に来てくれた北九州市民から手伝うという申し出があったということだった。

 

先ずは、その三人に連絡して次のお話会を開くことにした。

 


その三人は、

 

焼却炉近くに住む住民で30代の女性、堀越美玖。


北関東から10年前に小倉に来たという30代前半の男性、前田拓斗。

 

北九州市民で、子どもへの影響が心配でお話会に参加したという、同年代の男性、古川康太。

 


真子と同年代の古川が、自宅をお話会の会場に提供したいというので、早速真子と外山が下見に行った。

 

 

元専門学校だった自宅兼貸会場は広かった。

 

少し気になったのは、

 

駅から離れていて、近くに駐車場もなかったから、会場に来るのが少し難しい事だった。

 

でも、真子と外山は、取り敢えずここから始めようと決めた。

 


ここでのお話会が始まってから、

ガレキ反対運動の中心は、child of the futureから「ひなん者お話会」になったように見えた。

 

 

というのも、黒川はひたすら北九州市民に福島の状況を知らせることに反対だったからだ。

真子が議員を回ると言っても、

Γ私が行きました。もう行かなくていいです。」 と言うし、


自治会を回ると言っても、

Γそれは今、ハイ&ローの人たちに任せています。勝手に動かないで下さい」

と言われてしまいました。

(真子は、自治会が動かないとどうしようもないことを福島で知っていたので、早く動かしたかった。)

そんな中、
 

4.9 に child of the  future:黒川とハイ&ローの会が北九州市長に、ガレキ受け入れに対する公開質問状を提出した。

 

 

4.22  は、ゴミ焼却炉の危険性を訴え、ガレキ受け入れを止める専門家として、「赤城泰治の講演会」が行われた。この講演会は黒川主催ではなく隣の市に住む知らない女性だった。

 

真子はバイトしながらも、公開質問状を提出すると言っては、できるだけ参加し、赤城先生の講演会も講演会後の食事会にも参加した。

 


赤城先生に具体的な止め方を教えてもらえるのだろうと思って、真子は期待しながら講演会に行ったのだが、


赤城先生は焼却炉の危険性を話すだけで、具体的に止める方法は話さなかった。

 

 

これでは、参加した意味がないと真子は思い、講演後の食事会にも参加した。

 


偶然赤城先生の隣になった真子は、

 

 

「どうやって、ガレキを止めるんですか?」

と質問した。

 


すると、赤城先生はまだ酒も入っていないのに、

 


焼却炉からでる有害物質の話をし出した。

 

 

「焼却炉の危険性については、先生の講演会を聞いて、驚きました。でも、具体的にガレキを止める方法が分かりませんので教えてください」

 

 

と聞くと、


赤城は一瞬ジッと真子を見た後、目を逸らし、

 

 


「うーん、先ずはイベントをたくさんやって人を増やすことですね」


と言った。

 

 

 

真子は、そんなの、子どもでもわかるワww・・・

 

 


その先を言わんかい!

 

それが分からないから聞いてんだっつーの!

 

 


と、思い、更に赤城に質問した。

 

 


「私は、人を増やした後に、具体的に止める手立てを知りたいんです」と。

 

 


すると、真子の質問に赤城は答えず、

 

「そうね~」と言って、反対側に座る人と話し出し、

 

真子の質問に答えなかった。

 

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何だっぺ、このオヤジ・・・大丈夫か?


信用できんの?


止め方知らないの?


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でも、周りの原発反対ン十年の親父たちは、赤城のことを「先生、先生」と言って奉っていた。

 

止める方法を聞けずに、結構白けてしまった真子だったが、


周りの親父たちが、「やり方があるんだよ~」とか、「大丈夫、絶対止める!」って言ってるのを聞いて、


「そんなもんなのか・・?」って、思い直した。

 

 

 

この講演会後、なんだかわからないけど、まとまってるのか、まとまっていないのかわからない動きが続いた。

 

 


まるで、反対運動が3つある感覚だった。

 

 

 

一つは、child of the futureとハイ&ローが繰り広げる行政交渉。

 

 


二つ目は、ひなん者お話会。

 

黒川からはっきりと「ひなん者お話会は、child of the futureとは別にやって下さい」と言われてしまったので、

反対運動の中では、浮いていたが、

 

ひなん者お話会は、3つの動きの中で、実際に動いてくれる協力者を一番集めていたし、支持されていた。

 

そして、北九州の放射能汚染を知らない市民たちに深刻な放射能汚染の状況を一番広めていた。

 

 

三つめは、赤城先生を呼んだ隣の市に住む女性の活動。

真子はこの女性と話してなかったので、この頃はこの女性について、イベントを企画する人という印象だった。


こんな風に3つに分かれた感じで反対運動は進んでいった。

 


4月23日、child of the futureが「ガレキ受け入れ検討委員会に市民の参加を求める要望書」提出した。

 

4月24 日には、北九州市のHP上で、「震災廃棄物受け入れに関する検討会」メンバーが告示された。

 


検討会のメンバーは全て市が選出し、その中には環境省の役人(山元昌宏)も入っていた。

 

4月27日 に child of the futureとハイ&ローの会が出した、 公開質問状の回答会を5月10日にすると北九州市環境局から連絡が来た。

 

 

そして、とうとう、出来レースである
第1回「災害廃棄物受け入れに関する検討会」が2012年5月1日に開催された。後に取り寄せたこの検討会の議事録は、信じがたいことに発言者の名前の記載がなかった。


 

 

同日、5月1日


真子たち反対運動も、北九州市民と近隣自治体市民による緊急記者会見を開いた。