自主避難先が中々見つからない中、

 

真子は避難することを決めても

 

やっぱりウジウジ色々考えていた。

 

 

真子が子どもを連れて自主避難する場合は、離婚前提・・・・

 

そうなると、食べていかなきゃならないから、

 

真子は今の生活をすべて捨てて、経験したことのないことをやる覚悟があるかどうか自分自身に何度も問いかけていた。

 

 

「子どものためなら何でもできる。」


「いやいやいや・・やったことのない事できるの?」


「やる覚悟はあっても、雇ってくれっぺか・・・」


「そこだよね・・そこ大事。年も年だから、どうなの?」

 

夫から養育費その他貰えるものは請求して
確実に貰えるようにしておかないと子どもに迷惑がかかるなあ・・・

なるべく悲惨な目にはあわせたくないし・・・

 

 

離婚しての移住生活はどう楽観的に考えようとしても、実際の生活を考えると悲惨なものにしか思えなかった。

 

「みんなと同じように、福島は大丈夫って思うようにすれば、今の生活レベルは保たれる」

 

「避難はやめっか?」


「悲惨な生活より、子どもにとってはたとえ何かあったとしても、生活レベルを下げるより良いのではないか?」


「何より私・・・お金のない生活我慢できますか?今までピアノしか弾いてこなかった人がバイトなんかできるの?」

 

悶々と同じことを考える日々が続いたが、

 

 

上の子は学校に行っていたので、学校には体育の授業や外の作業を拒否する旨を手紙で書いて担任に渡したが、実際は拒否できない空気があったようで、上の子は何度か外の作業をして帰って来た。

 

そのころ既に学校は本格的に外の活動を震災前とおなじようにやらせていた。

 

測定すれば二万bq/kgもあった草木を子どもたちに軍手一つで作業させていたし、マスクもせずに、防御服も勿論着ないで、持ち帰った半そで半ズボンのジャージは泥にまみれていた。

 

泥にまみれた衣服を見て

ウジウジ考える自分を情けないと思ったし、

 

なんでこんなこと子どもたちにさせるの!って学校に社会に怒りがわいた。

 

ああもう、色々考えている時間はないと思った。

 

どんなに抵抗しても、

学校や社会に子ども達を殺されるかもしれない・・・・

 

学校に行かせない選択もあったが、上の子は学校に行きたいと言うし・・・下の子はいじめられるから行かないと言うし・・・・

 

 

もう最後は、色んな事を考えるのが面倒くさくなっていた。

 

 

避難先も見つからないし・・・避難しなきゃ・・・避難したくない・・・生活の心配・・・子どもの未来の心配・・・毎日のように出る鼻血・・・心臓の痛み・・・癌になったらどうしよう・・・もしこのまま福島にいて、子どもが先に死んだら・・・私は耐えられるだろうか・・・・

 

泣いた泣いた毎日泣いた。

 

福島のお母さんは泣いた人がたくさんいるよね。

 

 

何もしないで、何かあったら・・・

 

色々考えたんだけど

「答えは出ない」って答えが出て、

 

最後は、

金がなくなるまで遠くに避難して、

金がなくなったら福島に戻ればいい。

 

そう決めて、自主避難先を探しまくった。

 

真子は自主避難先として、土壌汚染がなさそうで、ピアノが持っていけて、ある程度通学の便が良いところを探していたが、結局見つからなかった。

 

 

 

もう諦めようと思った時、福島の子どもを放射能汚染から守るという目的で作られたFCPネットワークのHPにたどり着いた。


そのHPには移住先の紹介や

移住支援の紹介が載っていた。

 

 

既に真子が入会した、ICPネットワークっていう団体は自主避難を否定する連中だったので、同じような名前のFCPネットワークを少し警戒しながら、ダメもとで事情をすべて書いて問い合わせフォームから送信した。

 


支援を全く期待はしていなかったが、暫くするとメールが来た。


それは、

移住先と移住支援者の紹介だった。2か所あった。

 

相談次第では、ピアノも持っていけるような話で、子どもたちの転校がスムーズにできるよう、移住先に支援者がいるっていうメールだった。

 

それで真子は自分自身で、紹介されたHPを見て問い合わせた。支援者はとても親切だった。

 

 

でも、ピアノを持っていくことは我儘だと断られた。

 

そんな中、たった一つ、

「福岡県の担当者に聞いて良いと言えばピアノを持ってきても大丈夫だと思います」

という返信をくれた支援者がいた。

 

早速、福岡県の自主避難者の住宅支援の担当者に問い合わせた。担当者は、

 

「貸主がOKだったら、大丈夫ですよ。普通の賃貸住宅ですから。」

 

えー、ホント?やったあ!


真子が自主避難先に選んだのは、北九州市という町だった。