2011.3.11  14:46

東日本大震災
 
東日本大震災は、2011年(平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害である。この地震によって福島第一原子力発電所事故が起こった。
 
発生した日付から3.11(さんてんいちいち、さんいちいち)と称されることもある。
 
ーーーーーーーーーー

長い大きな揺れだった。


まわりの人たちは、店の階段や廊下を走って逃げていた。

揺れが大きすぎて、人がゴロンゴロン転がっているのが、スローモーションのように見えた。


真子は、走らず、でも急いで店の外へ出ることだけに集中した。


兎に角、後の事は出てから考えよう。

そう思いながら、転がっている人たちを助ける余裕もなく、駐車場に出た。

駐車場に停まっている車がガタガタ踊っている。

「お母さん!お母さん!」

辺りは子どもの泣き声と、

「何これ!?」「何これ!?」

「キャーっ!」「ウワっ!」

という叫び声が聞こえた。

偶然隣にいた人が、立ってられなくて地面に伏せていた。真子も伏せた。


「何これ、随分長いね」

目が合った拍子に、普段知らない人に話し掛けることはなかった真子だけど、

自然に言葉が出た。



最初の揺れから何分経ったのだろう。

揺れは小さくなり、車が踊らなくなった。



急いで子ども達を探しに車に乗り込んだ。


あ、また激しい揺れ!
運転出来ない。


車を端に寄せて止めた。

車を寄せながら、最悪のことを考えてしまった。


涙が出てきた。


子ども達の名前を無意識に叫んでた。


兎に角学校に行こう!




学校に向かう途中、

道路が隆起したり、陥没したり、長い長いヒビが入っていた。

傾いた家があった。

潰れてる家もあった。

涙が止まらなかった。



下校途中の子ども達を見つけた。

あ、そうだ!金曜日は集団下校だ。

ひなは一人じゃない。誰かと一緒だ!


ひなの下校班を探したが、見つからない。

子どもたちはみんな泣いていた。


近くの大人が出てきて、子ども達の名札の裏に書いてある電話番号を見て、電話しているようだ。

携帯はさっきから繋がらないのが分かってたから、

自力で見つけるしかないと、

真子は狂ったように、駆け回った。

ほうぼう探したが、いない。

家に戻ってみた。

やはり・・いない。



辺りは少し暗くなっていた。



バスケに行ってた ちゅうが自転車で、道路のまん中にいた私を見つけ、駆け寄ってきた。

「ひながいない」

ちゅうは

「車が通れない場所はメモしてきたから」

と、意外に冷静。

「あとね、ポストにメモあったよ~」

ちゅうがメモを持って来てくれた。

メモには

「ひなを預かっているから、連絡欲しい」と連絡先が書いてあった。

携帯はまだ繋がらなかった。

公衆電話を探し、やっと電話した。


一瞬繋がったが、途中で切れてしまった。

もう繋がらない。ああ・・・

暫くして、またポストにメモがあった。

「上公園にいます」

と。

急いで上公園に行った。

ひながいた。

不安そうな顔をしていた

保護して頂いた方にお礼もそこそこに、真子たちは家に向かった。

つづく