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311から4年経った。

今日は、活動記録ではなく、mikoのあまり話してない、個人的なことを、書いてみよう。

4年前の311は子どもの中学校の卒業式。

とても、仲のいい学年で、担任は卒業式退場の時、生徒よりも号泣していた。

こんなに、素晴らしい中学校でしたが、息子が入学する前、この中学校は、荒れていて、警察が入ることもあった。私達保護者は、小学校でも学級崩壊を経験していたので、子ども達に気づかれないように、先生への批判・おかしな噂には、「先生を褒めまくる」という戦法で、子ども達に先生を信頼させることに取り組んだ。

そうすると、「あの先生は、はずれだから」という噂より、「S先生は、生徒にも保護者にも人気がある」という、噂の方が多くなっていった。そして、本人は気づいてなかったと思いますが、保護者や卒業生に散々なことを言われていた、この先生は、不登校の生徒を学校に呼び戻すような、噂どおりの素晴らしい先生になっていた。

もう、学校が荒れる事を心配する必要もなくなった。生徒は先生を信頼し、保護者も先生に協力し~益々学校の雰囲気はよくなっていった。

この先生は2年で他校に転任し、前担任大好きだったクラス・受験生でもあるこのクラスを引き継いだ担任は、当時相当プレッシャーだったそうだ。私達保護者は、当然、新担任が学級経営をし易いように、協力を惜しまなかった。(飲めぬ、飲み会もしましたしね)

mikoの学校へのかかわり方は、文句を言うことではなく、自分の子どもや、子どもの友人達に先生と学校を信頼させることだった。それで、大抵の問題は全て解決できたし、楽しい思い出もおまけについてきた。

タマに、まわりに、モンスターペアレンツってこれかあ~っていう人たちもいたけど、声の大きい人たちに対しては、どうしたら、みんなが納得できるようになるかを、その方達ととことん話し合って、解決を目指した。

mikoは、基本的に面倒がキライだから、目立たないように、目標に向かって一番最短距離で達成できる方法になるように、みんなと話し合う性格です。

さて、311の日に話を戻そう。

卒業式が終わって、息子は、昼食後、クラスの男子全員とバスケットをしに公園へ出かけた。

次の日、ピアノ弾けるように「つき指してこないように(笑)」と送り出した。

12日は、私が主宰するピアノ教室の発表会だったので、わたしは、発表会の記念品とは別に、日頃厳しいレッスンに頑張ってついてくるかわいい生徒達へのご褒美と疲れないように、会場で履く上履きを買いにイオンに行った。

そこで、地震にあいました。

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子ども達にあえたのは、17時ごろだった。

怖かった。

電話も通じず、車で10分ほど離れた両親が無事かどうかわからない。

主人は市役所に勤めてるから、こんなときは当然市民のために働くのだ。あてにしてはいけない。当たり前だ。

私は、一人で、この状況を正確に判断しなければならない。

子どもの無事を確保し、必要なものを揃え、道路が通れるところを通って1時間近くかかって、両親の家にたどり着いた。

両親は無事だった。

連絡が取れなかった主人とも連絡がとれた。泊り込みなので、着替えを届けた。

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そう、4年前の311まで、私達は家族だった。

mikoは、自分が大好きなピアノをどうやったら、生徒一人一人に、楽しく、テクニックもつけてやることが出来るかを考える毎日。

子ども達との一日一日に感謝する日々。

自分は出来るだけ目立たず、みんなが上手くいくことに幸せを感じる日々。

原発が爆発したことで、

ぜんぶ

なくなった。

mikoは何にも贅沢なことは望んでなかったのに、

積み上げたものぜんぶ

なくなった。

コツコツと積み上げたものをなくしたけど、

原発がなくなることも、人々の意識が変わることも、エネルギーの使い方への反省も

なかった。

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あんなに、衝突が苦手だったmikoは、

学校に、先生に、それまで信頼していた人たちに失望した。

命や健康よりも「仕事」

mikoがたった3週間位、子ども達を連れて、他県に避難している間に、「もう、国は信じられないから」と言っていた主人は、「国が放射能は安全だと言ってるんだから、安全だと思わないとやっていけないでしょう」「福島から人がいなくなったら、お給料は出ないかもしれない」という、人に変わってしまった。

「わが子の命や健康よりも、仕事」

今もまだ主人と話しをしていない。

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この4年間、あんなに酷い事故を起こし、人々の暮らしや価値観を変えた東電はいまも罪を償うこともなく営業している。

国は、原発事故を切っ掛けにして、コレ幸いに「放射能の焼却・リサイクルやりたい放題」

mikoは何の知識も市民運動の経験もないけど、

行政の対応、行政から開示された文書や、職員の説明・原発の再稼動や・新エネの推進の様子を見て、

福島の原発事故は引き起こされたものではないか

と感じています。

全てにおいて、用意が整っていた。

TV・新聞の嘘を使ってエートス活動も統制が取れていた。

除染も、食べて応援も芝居がかっているように感じたのは私だけだろうか・・・


地方の反対運動の様子も、


「ほんとうに反対なの???」と思ってしまう言動ばかりが目に付く。

ホント、挙げたらキリが無い。

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1年目の311は、泣いていた。
2年目の311は、無関心をやめようと思った。
3年目の311は、無力感でいっぱいだった。
4年目の311は、あらためて、被災者は怒りを忘れてはいけないと思った。

まだ、正気でいる人は何人いるのだろうか。
本当のつながりを心から望んでます。2015・3・11 Miko Tukamoto