3月12日に原発が爆発して、「誰かがやってくれる」って待っていたら、放射性物質は危険ではないということになり、(測定すると5000bq/kg~20000bq/kgの校庭も空間線量が0.2~0.4マイクロシーベルト)爆発からたった2ヶ月後5月に、子ども達の学校では外で体育の授業が始まりました。


自分で動かないと誰も守ってくれないとわかっていたつもりでしたが、避難先の北九州でも同じ事を繰り返してしまいました。


放射性物質を含むがれき受け入れの反対運動を立ち上げた方々に任せて、安心してたら、騙された。


こいつら、全然反対してねえ。


がれき広域処理反対運動に突っ走った数ヶ月でした。残念ながら成果は出せず、今、受け入れという結果に向き合ってます。



反対運動のリーダー達の嘘が分かったのは、反対してるはずだった漁協の人と話した時です。そして漁協の反対声明文を情報公開請求したら、ちゃんと反対って書いてなかった。


だから、私は、漁協に何度も行って、「反対してください」と頼んだけと、私は漁協のおじちゃん達から、罵声を浴びるだけ浴び、泣きながら子ども達の待つ家に帰ったのを今でも思い出す。


結局漁協は「がれき受け入れへの反対声明文」を出さなかった。



あと、テレビで報道された、がれき受け入れに反対している自治会長の「反対」もおかしかった・・・


反対していた筈の自治会長にお話会の開催を頼みに行ったら、「避難者は嘘つきだと市から聞いてる」私は市民センターの部屋で、漁協と同じように、罵声を浴びた。


私は、福島の子どもを守るネットワークの紹介で、北九州絆プロジェクトでを利用し北九州に避難したが、金が絡んだとたん、絆は一方的に切られた。


やはり、人任せはだめだ。

自分でやるしかねえ。


失敗したり、小さな成功があったり、私が見たことを書いていこうと思います。