今朝は五木寛之さんの著書よりご紹介します。
以前、1日に1回どんなことがあってもよろこぶ、そう決心しました。
そしてそれを手帖に書くことにきめました。
さて、あらためて一日の中で心がキラッと光るような、よろこびの瞬間を集めようと意識してみますと、これがなかなかむずかしいものなのですね。
しかし、日がたつにつれて、少しずつ慣れてきました。あまり大きなよろこびだけを見つけようとするから戸惑うのだとわかってきたのです。
実際にそのころ、手帖に書きつけたよろこびのコレクションは、今、読み返してみますと、実に他愛のないものばかりであるのに驚きます。たとえば、
◯きょう新幹線の窓際の席にすわったので、富士山が真正面によく見えた。うれしかった。
◯デパートで買ったボールペンが、実に書き心地がよい。とてもうれしい。
◯いつになくネクタイが一回で形よく結べた。こんなにうまくいくなんて滅多にないことだ。
◯小松空港でマス寿司を買おうと売店にいったら、最後の一個が残っていてラッキーだった。うれしかった。
◯BBC制作のテレビ・ドキュメンタリーが素晴しかった。いいものを見た等々。
比較的多いのは、恥ずかしながら食べ物のことです。安くて旨いものに出会って、しきりに感激しています。
「よろこぶ」ということもひとつの習慣です。
こんな風にその気になってよろこぼうと身構えていますと、喜びは自らやってくる感じがある。
喜びたい心の触手を大きく広げて待ちかまえていることが大事なんですね。すると手帖に書ききれないほどいいことがどんどん見つかるようになってきました。
「よろこぶ」ということもひとつの習慣なんじゃないでしょうか。それに習熟することが必要な気がするのです。
努力して喜んでいるうちに、やがて何でもうれしい感じになってくる。アホと違うか、と人に笑われてもいいのです。うれしがりの人生のほうが、周囲にとってもありがたいのですから。
「生きるヒント」
五木寛之さん
文化出版局より。
今朝もワクワク目が覚めた?うれしい?
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます
今朝はスーザン ターケル 著さん、ラリー ターケル さんの
著書よりご紹介します。
微笑む気分でないときでも微笑む。
笑顔をつくることによって、
脳の中の肯定的な感情をつくる部分が反応し、活性化される。
落ち込んだ時に元気を出したい場合や
ふだんの生活を今より愉快にしたいなら、
ともかくもっと微笑むこと。
テレビや劇場でコメディーやコントを見たり、
ジョークの本やユーモア小説を読んだりする。
ユーモアセンスあふれる人と友達になっていっしょに過ごす。
人生にもっと幸せがほしいなら、もっと微笑むこと。
自分の微笑みを改良するには、微笑みに使う筋肉を鍛え、
目を使って微笑むように気をつける。
楽しく感じていいときなのに、気分が陰鬱なときには、
無理矢理でも笑顔をつくってみよう。
「自分の壁」を破るいちばん簡単な方法
スーザン ターケル さん ラリー ターケル さん
三笠書房より。
今から鏡の前に直行です(笑)
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます
今朝は斎藤一人さんの著書よりご紹介します。
昔話で、大金持ちの子どもが迷子になった、ってのがあってさ。
その子どもは乞食になって帰ってきて、ボロボロの服を着てた。
それ、ちっちゃいときに着せた服を、まだ着てたんだよね。
ところが実は、その人が着てた服の襟元に、一つの国が買えるぐらいの宝物を隠し入れてたんだよ。
その人は、「宝物がある」ということを知らないで、乞食して歩いてた。
そういう話があるんだけど、この話には、実は深い意味がある。
オレたち人間は、一人ひとり、とんでもない才能があるんだけど、みんなはそのことを知らないで生きている――ということのたとえ話で、一生懸命、あなたがたは神の子なんだよって、教えているんだよね。
そして、「私は愛と光と忍耐です」と言うのも、実は「私は神です」と言うことなの。
オレたち人間は、天にいる神、いわゆる「大霊」という、大きい霊の愛と光を分けてもらっている。それを「分霊(わけみたま)」と言うんだけど。
分霊をもらっているオレたちは神の子なんだけど、わかりづらいんだよな。
オタマジャクシだって、蛙の子なんだけど、蛙の格好をしてないから、分かりづらいのと同じでさ(笑)。
たいがいの人は、自分は神の子だとは知らないで、「自分はつまんない人間だ」とかさ、自分で自分を低く見てるんだよね。
それが自分だと思ってる。私はこういう人間だから、こういうことは起きると、こういうふうに応える、とかって思ってるんだけど。
自分の判断って、自分が判断していることのほんの数%しか自分の判断ではないんだよね。
大半は、親から教わった習慣だったり、先祖代々、そこのウチに伝わってるような何かだったり、世間の意見だったり、なんだよ。
ところが、「私は愛と光と忍耐です」と言っていると、自然と正しい判断ができるようになってくる。
目の前に起きた問題に対して、自分は「愛と光」として答えを出そうと思った、そのときには、もう神としてふるまってる。
自分では気がつかなくって、神と同じ判断基準になってるんだよね。
だから、こずえさんが自分に自信をもって、毅然とした態度を取れるようになったら、相手が変っちゃった、っていうのは、彼女が神の基準でものを考えるから。
そうすると、高みから見られるんだよ。神と同じ基準になった人ってさ、そうとう高いからね。
それから、そのとき、人はものすごく強い波動を出すんだよ。
「斎藤一人 知らないと損する不思議な話」
斎藤一人さん
PHP研究所より。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます