今朝は人気webサイト彼岸寺のお坊さんの説法集よりご紹介します。
仏教では、自尊心の強い状態を「慢(まん)」と呼び、煩悩であると説きます。高慢、傲慢、慢心という言葉がありますが、「慢」とは自尊心が強い、プライドが高いことを指し、仏教のものの見方でも、これは非常に恐ろしいこととされています。
一方、仏教ではプライドのことを「我慢(がまん)」と呼びます。一般的には、自分自身を抑制し、辛抱強く耐えるということを「我慢する」と言い、立派なこととされていますが、仏教では、自分に執着することを我執といい、自分自身を高く見て他人を軽蔑する心を「我慢」と呼ぶのです。
自分にこだわり、自分が正しい、自分が優れているとする生き方ほど、恐ろしいものはありません。
それはやがて、我が家が正しく優れている、また、我が国は正しく優れているという考え方に通じます。そのプライドが傷つけられると怒りが生れ、他人を見下すだけでなく、他人を攻撃することにつながります。
戦争がいつも、「我々は正しい、我々の国を侮辱した、許すわけにはいかない」という主張によって引き起こされてきたことを、私たちは知っています。プライドや自我の恐ろしさは、いつの時代にも変りはないようです。変わりがないのであれば、もっと真剣に歴史から学ばなければいけません。
人間は、自分が一番好きなものです。これは、自分以外の人も同じです。かといって、誰も彼もが自分にこだわり、自分を主張して一歩も譲らなかったら、世の中はいったいどうなってしまうでしょうか。
自分が正しい、優れているというのは、相手があり、その相手から認めてもらわなければ成り立ちません。正しいとか正しくないとか、優れているとか劣っているとかいうことは、それ自体が幻想です。
自尊心が強い、プライドが高いということは、誰か他の人の存在なくしては成り立ちません。常に正しく、誰よりも優れているというのは、自分ひとりしかいない状態では決して感じえない感覚なのです。
「自分が、自分が」というところを離れ、「おかげさま」という気持ちを持つことが、このプライド地獄から抜ける近道なのではないでしょうか。
プライドは他人がいてこそ成り立つもの。
「お坊さんの1日1分説法」
彼岸寺著
永岡書店より。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます