by 宇多田ヒカル | 北風家のおやじのブログ

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がごめ昆布を漬け込んだオリーブオイルを主原料にした手作り石けん、がごめオリーブ石鹸を作っている北風家ねっとのおやじのブログです。
”まじめにていねいに心をこめて”をモットーに家族で頑張っております。


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「輝く」











今朝はメンタルコーチたきざわさんのメルマガよりご紹介します。



その女の子は、お母さんのお腹の中で、

予定日を3週間過ぎても、誕生しなかった。

3週間も過ぎると、

出産の際、母胎にも影響が出てくる。

・・・医師は帝王切開を決断した。

ところが、取り出された赤ちゃんの心臓は

動いていなかった。

母親も麻酔で意識をなくしていた。

医師たちは懸命に赤ちゃんを救おうとした。

しかし、数分たち、医師は父親に

「残念ですが…」

そう言って、胎児の死を告げた。

ところが、父親は

この小さな命を

あきらめようとはしなかった。

泣きながら、必死に、

その生まれたばかりの小さな小さな身体に、

懸命に心臓マッサージを繰り返した。

すでに決めていた、その子の名前を叫びながら。

・・・・すると、奇跡が起こった。

なんと、小さな小さな赤ん坊は

徐々に赤みを取り戻し、そして蘇生した。

アメリカで生まれ育った奇跡の赤ん坊はやがて、

両親の影響で音楽に目覚めはじめていった。

80年代に、家族3人で 

「世界を目指そう!」

とニューヨークで生活を始めた。

家計が苦しかったその頃、

ニューヨークの時計店で買った

“宝物”の高級時計を質店に入れて

食いつないだ時もあった。

アメリカでの生活で資金が底をつくと日本へ帰国し、

母は一時引退していた歌手業の地方回りで稼いだ。

娘を養うため、お気に入りの愛車「ミニ」と一緒に、7年間、地方を巡りまわった。

父が運転し、母は助手席、狭い後部席が幼い少女の指定席だった。

そして、10才でファミリーユニットとしてデビューした。

14才になると、ソロデビューを果たした。

やがてその才能は祖国、日本へも知れ渡り、15才で日本デビューも飾った。

そして、奇跡の命は次々と伝説をつくっていった。

デビュー曲、

「Automatic」

は、いきなりミリオンセールスを記録。

16才になると、

1stアルバム 「First Love」 を発売。

国内外で1000万枚近く売れたアルバムは、

日本アルバム歴代チャート1位に輝いた。

デビュー曲「Automatic」には、

「time will tell」というカップリング曲が収録されている。

このタイトルはその時の時計店の名前だった。

母は奇跡の命を授かった娘に、人生をかけていた。

奇跡の少女は歌姫として音楽業界で神話をつくり続け、

アメリカや全英でもメジャーデビューを果たし、世界の歌姫へと成長していった。

彼女の名「宇多田ヒカル」といった。

誰の命も奇跡。

人生は奇跡の連続。

あなたの命をあきらめるな。

あなたの夢をあきらめるな。

あなたの人生には奇跡が毎日積み重なっている。

あなたの命を一生懸命、守ってくれた人たちのために。

あなたの命を生んでくれた人のために。

人生は素晴らしい。

さぁ、今日も新たな一日を積み重ねていきましょう♪

「奇をてらって周りと違うことして
目立とうとしても、それは他の人たちに対する
リアクションに過ぎない。
本当の個性、オリジナリティーは、普遍性の中に見い出すものだと思う。
by 宇多田ヒカル



あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます