今朝は以前「みやざき中央新聞」の社説で
紹介されていたお話です。
「笑顔の配達人」を自称している栗木大輔さん(31)。
彼の人生が一変したのは、26歳の時だった。
それまでは自由気ままなフリーター生活だった。
一つの職場で3年続いたことがなく、
転職も15回を数えていた。
そもそもそんな人生観になったのは、
大好きだった祖父が突然、脳出血で倒れ、
重度の右半身麻痺と言語障害になったことが大きかった。
「人生って、いつ何が起こるかわからない。
だから今がよければそれでいい」と強く感じた。
中学2年の時だった。
そんな栗木さんにも彼女ができ、やがて結婚を意識するようになった。
生まれ育った岐阜県に戻り、まじめに働こうと飲食店に就職した。
中古だったが、一応車も買った。
そんなある日の夜、
2人でこれからのことを話し、そしてお風呂に入ったところで
彼の人生の第一ステージが終幕した。
湯船に浸かった瞬間、左半身の力が抜けた。
「えっ? どうしたんだろう?」
彼女を呼び、湯船からひっぱり出してもらい、しばらく横になった。
しゃべろうとするとろれつが回らない。
「おじいちゃんに似ている・・・
もしかして大変なことになっているんじゃないか」
心臓がバクバクし始めた。
意識が遠のく中で救急車の音を聞いた。
原因は脳出血だった。
主治医は両親に言った。
「もしかしたら、一生流動食。
よくなっても車椅子生活です」
左半身の機能を失った。
同時に、結婚も彼女も仕事も将来も・・・・
すべて終わったと思った。
一生分の涙を流した。
同時に悔しさと怒りがいた。
病室のテレビに、生き生きとしている障がい者が映ると、イラッとした。
「障がいは個性です」
と言われると、
「ふざけるな!」
という気持ちになった。
隣の病室には寝たきりの男性がいた。
ある日、彼の奥さんがこう言った。
「あなたは右半身が動くからいいわね」
ハッとした。
それまで動かない左半身ばかりに気を取られて、
泣いたり怒ったりしていたが、
動く右半身のことを全く意識していなかったことに気づかされた。
それから、面会時間が終わる夜の8時になると、
廊下の長い手すりにつかまって歩く練習を始めた。
7ヶ月後には杖をついて、何とか歩けるまでになった。
こうして真っ暗だった人生の第二ステージが幕を下ろした。
退院後、彼は自分の現実を受けとめるために、ある行動に出た。
地域の人たちに、自分をPRし始めたのだ。
「はじめまして。
身体障がい者やっています。
恐怖・絶望・失望・不安など、
多くの葛藤の中から、
家族や仲間の支えをもらって、
大嫌いだった自分をもっと好きになろうと思えるようになりました。
悔しいけど、時間はかかっても、
(この現実を)絶対に受け入れます」
みたいなことをチラシにの裏に書いて
5000枚印刷し、駅やショッピングセンター、お店に置かせてもらった。
表には入院中にもらった千羽鶴の写真を載せ、そこに、
「今が・・・・しあわせ」
と書いた。
ボランティア活動を始めた。
しばらく経った頃、
『一生を変える小さなコツ』
の著者・野澤卓央さんに出逢った。
おしゃべりする中で、栗木さんが
「自分が自分で自分をどうするかを考えるようになりました」
と話した。
野澤さんは、鳥肌がたった。
「己が己で己をどうするか考えなさい」
野澤さんもそう師匠から言われたばかりだったのだ。
運命の出逢いだった。
人生の第三ステージに立つ栗木さんは言った。
「心のリハビリは完全に終わりました。
今は病気をする前よりしあわせです」
みやざき中央新聞より。
「自分が
自分で、
自分をどうするか
考えるようになりました」
by 栗木大輔さん(笑顔の配達人)
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます