この話には、実は深い意味がある | 北風家のおやじのブログ

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haruni
「春に」









今朝は以前にもご紹介しました、斉藤一人さんの
「私は愛と光と忍耐です」のお話です。




昔話で、大金持ちの子どもが迷子になった、ってのがあってさ。

その子どもは乞食になって帰ってきて、ボロボロの服を着てた。
それ、ちっちゃいときに着せた服を、まだ着てたんだよね。

ところが実は、その人が着てた服の襟元に、一つの国が買えるぐらいの宝物を隠し入れてたんだよ。

その人は、「宝物がある」ということを知らないで、乞食して歩いてた。

そいう話があるんだけど、この話には、実は深い意味がある。

オレたち人間は、一人ひとり、とんでもない才能があるんだけど、みんなはそのことを知らないで生きている――ということのたとえ話で、一生懸命、あなたがたは神の子なんだよって、教えているんだよね。

そして、「私は愛と光と忍耐です」と言うのも、実は「私は神です」と言うことなの。

オレたち人間は、天にいる神、いわゆる「大霊」という、大きい霊の愛と光を分けてもらっている。それを「分霊(わけみたま)」と言うんだけど。

分霊をもらっているオレたちは神の子なんだけど、わかりづらいんだよな。

オタマジャクシだって、蛙の子なんだけど、蛙の格好をしてないから、分かりづらいのと同じでさ(笑)。

たいがいの人は、自分は神の子だとは知らないで、「自分はつまんない人間だ」とかさ、自分で自分を低く見てるんだよね。

それが自分だと思ってる。私はこういう人間だから、こういうことは起きると、こういうふうに応える、とかって思ってるんだけど。

自分の判断って、自分が判断していることのほんの数%しか自分の判断ではないんだよね。

大半は、親から教わった習慣だったり、先祖代々、そこのウチに伝わってるような何かだったり、世間の意見だったり、なんだよ。

ところが、「私は愛と光と忍耐です」と言っていると、自然と正しい判断ができるようになってくる。

目の前に起きた問題に対して、自分は「愛と光」として答えを出そうと思った、そのときには、もう神としてふるまってる。

自分では気がつかなくって、神と同じ判断基準になってるんだよね。

だから、こずえさんが自分に自信をもって、毅然とした態度を取れるようになったら、相手が変っちゃった、っていうのは、彼女が神の基準でものを考えるから。

そうすると、高みから見られるんだよ。神と同じ基準になった人ってさ、そうとう高いからね。

それから、そのとき、人はものすごく強い波動を出すんだよ。

「私は愛と光と忍耐です」と言うのは
「私は神」というのと同じなんだよ。

「斉藤一人 知らないと損する不思議な話」
斉藤一人さん
PHPより。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます