愛がわかると | 北風家のおやじのブログ

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がごめ昆布を漬け込んだオリーブオイルを主原料にした手作り石けん、がごめオリーブ石鹸を作っている北風家ねっとのおやじのブログです。
”まじめにていねいに心をこめて”をモットーに家族で頑張っております。


yagi
「子ヤギの丘のヤギの親子」












今朝はベストセラー作家、犬飼ターボさんのメルマガより
愛のお話です。




去年の11月から愛についての本を書いています。

「愛とは欲求が満たされた喜びの記憶」

というテーマなんですけど、これが30歳から愛って何?と考え始めて、
ようやく辿り着いた答えです。

愛とは突き詰めて考えていくと、”欲求が満たされた記憶” となります。

しかしその前に、愛というのはとてもいろいろな意味で使われますね。

恋のことも愛というし、
やらしい感じがする愛もあるし、
「それは愛ではない」という表現もあるし、
社会貢献する人を指して「あの人は愛の人だ」なんていう言い方もあります。

世の中で言われている愛には、分類の方法がいくつかあります。
まず一般的なものは、恋愛と慈愛と性愛の3つがあります。
慈愛は人類愛や家族愛、性愛はセクシャリティに関する愛ですね。

そして、それとは別に、”想いの愛” と ”行動の愛” があります。

愛とは行動のことだ
と思っている人は、こういいます。
「行動しなければ愛ではない」
「思っているだけで愛は伝わらない」
「伝わらない愛は愛ではない」
「奉仕こそが愛」

愛とは想い(感情)のことだ
と思っている人は、こういいます。
「相手を思いやる優しさが愛だ」
「伝わらなくても愛はある」
「愛とは感じるものだ」

この、愛とは行動なのか、感情なのかという論争が心理学の中でも続いています。
本当は両方共愛の一部分なのでですが、
ここで「どっちが本当の愛なのか?」と考えているので、食い違いが生じます。

”想いの愛” と ”行動の愛”  はどういう関係になってるのかというと、

コップにたまっている水が ”想いの愛”
コップからあふれた水が ”行動の愛” です。

”想いの愛” がある程度大きくなると、”行動の愛”になります。

「この人が好きだな」と思うと、それが行動に現れるわけです。
好きな人には優しくしてあげたくなる。
普通の人には、別に優しくしてあげようと思わない。
でもこの人のことが好きだなとだんだん思ってくると、優しくしてあげたくなります。

ここからが重要な話です。

 ということは、

 行動していないとしても、

 想いの愛がないわけではありません。

この仕組が分かるだけで、自分のことが素敵だなと思えるようになります。
そして、相手のことを肯定的に見られるようになります。

例えば、電車で老人に席を譲れなかったときのことを想像してみてください。
自分は愛がないなあ、と思うことはないでしょうか?

行動で人に優しくしてあげられなくても、あなたの中に愛はあります。
人を喜ばせてあげられなくても、愛はあります。

席を譲らなかったとしても、老人をいたわる気持ちはあります。
ただ、思いの愛が行動にまで溢れなかっただけ。

自分の” 想いの愛” に気づいて感じられるようになると、
他人の行動に現れていない ”想いの愛” にも気づけるようになります。

席を譲らない人に対して、「想いの愛はあるよね」という目で見られるようになる。

それで、本のテーマとなっている「愛とは欲求が満たされた喜びの記憶」という話なんですけど、
愛には、”記憶の愛” がまた別にあります。
これは、”想いの愛” がないときに、「やっぱり愛はあったんだ!」となるための素晴らしいアイテムです。
この人は嫌いだ、と思ったときにも愛があることに気づけるのです。

素晴らしいでしょ?

愛がわかると人生でミラクルが起こりはじめます。
出来事が良い方向に転がり始めます。

愛が感じられるようになると、人間関係がよくなります。
みんなに愛されていることが分かります。
周りの人のことを愛していることが分かります。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます