「徳とは無類の明るさのことである」 | 北風家のおやじのブログ

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hubuki
「雪がすみ」








今朝は行徳哲男さんの著書よりご紹介します。



文化というのはカルチャーですからね。

カルチャーにはもともと「耕す」という意味がある。

コンクリートは耕せませんから、文化人はコンクリートからは生まれない。

耕すのは泥や土ですから、本当の文化人はどこか土臭さを持っていると思うんです。

目から鼻へ抜けるような人間じゃなくてね。

同時に耕すには手を道具とした。

だから文化は手作りでなくてはいけません。

文化を壊すものはトラクターですからね。

会社でいえば、部下への対応でも一人ずつ指導をしたり悩みを聞いてやったりすることが大事です。

手作りでないと文化は生まれませんよ。

そして耕せばやがて実り、収穫の時期を迎えます。

すると鎮守の森で祭りが開かれる。

文化の帰結は祭りのどんちゃん騒ぎ、つまり楽しさです。

応仁の乱の後の荒廃を救ったのは祇園祭でしたし、政治だって「まつりごと」ですよ。

いまはそういう楽しみ、おもしろみがない。

だから国が衰えるんです。

文化の帰結は楽しさと明るさです。

安岡正篤先生は「徳とは無類の明るさのことである」と言われました。

知識や技術は徳ではない。

明るく、人好きで、世話好きで、人に尽くすことができる人こそ、徳ある人である。

ゆえに徳ある人は元気がいい、と。

その意味でも、眉間に縦じわが入っているような人は文化人とは言えませんよ。

どこかで笑いをとる、楽しさをばらまく、それが文化人です。

悲劇の主人公みたいに深刻な面をしているおもしろくない文化人がいますけれど、ああいうのは本当の文化人とは言えません。

いま、日本では年間に3万人を超える自殺者が出ているでしょう。

自殺を防止するのは薬じゃない。

やはり、笑いですよ。

腹を抱えて笑える人間は、絶対に自殺なんてしません。

「いまこそ、感性は力」
行徳哲男さん
致知出版社より。

あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます