江口克彦さんの著書より松下幸之助さんのお話をご紹介します。
「このあたりはわしの土地や。これから行く料理屋さんもわしのもんや」
昼の食事をするために、車で出かけたときのことだ。
そして次のように言われたのである。
「なあ、きみ、そう考えたら気が大きくならんか。そいうふうに思ったほうが面白いやろ。
もちろん、このあたりの土地も、これから行く料理屋さんも、わしのもんではない。
けどな、そう考えたら愉快やで。この土地は自分のものやけど、自分は電器屋を中心にして仕事をやっているから、このあたりの土地まで管理するということはできない。そこで他の人にお願いして、この土地の面倒を見てもらっている。
そう考えれば、きみ、こういうところを通っていても、きれいに使おう、静かに走ろう、他の車に迷惑をかけたりしないようにしようと思う。ましてや、ごみを捨てたり、枝や花を折ったりはできん。自分の庭やからね。
自分のものを他の人がお世話をしてくれているんやから、自然にそういう心持になるわけやな。
これから出かける料理屋さんも、自分の料理屋さんやから、代金は払わんでもええわね。それではただで帰って来れるかというと、そうはいかんわな。
自分のお店をその人たちに頼んで、日々一生懸命にやってもらっておるのやから、日ごろの努力、今日のもてなしを思えば、それなりのお礼を差し上げなければいかん。
そう考えれば、お店の人に感謝の気持ちがわいてくるし、思わずやさしい一言も出てくる。どや、気分が大きくならんか、きみ」
面白い考え方をする人だと思った。そういう考え方もできるなあ・・・、と。
たとえば電車だ。この電鉄会社は自分のもので、しかし、自分が別の仕事をしているから、他の人たちに経営をやってもらっているのだと考える。
そう思えば他の乗客は、自分の会社の電車を利用してくださるお客さまだ。
すると松下電器も松下さんの持っている資産も、実は私のもので、私は私の仕事があってその経営も管理もできないから、松下幸之助さんにやってもらっているのだと考えることも許されるわけかと、思わずひとり笑ったことがあった。
さらに発想を広げていくと、他人(ひと)のものは自分のものという考えに続いて、自分のものは他人(ひと)のものという考えも自然に導かれてくる。
他人(ひと)のものは自分のもの、だから、預かってもらっていることの感謝とお礼を大事にしなければならない。
逆に自分のものは他人(ひと)のもので、だから大切に活用しながら成功させ、発展させなければならない。
すなわち企業は決して経営者や従業員や株主だけのものではなく、多くの人たちからお預かりしたものだ、という考え方になる。
だとすれば、「会社は公のもの」「企業は公器である」という考え方は、一見堅苦しくみえるが、さかのぼってみれば自らの体験と知恵から到達した、ごく自然な考え方だったのだと思われる。
あなたにすべての善きことが雪崩のごとく起きます