
「夕日の赤が目にしみるぜ」
しっとりツヤツヤすっぴん美肌


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これは、2007年に大分代表として甲子園に出場した楊志館高校の話。
この年、楊志館高校は開星を破り見事にベスト8に進出した。
その年の事を覚えている人もいるかもしれないけど、楊志館高校には、『あっこ』とナインのみんなに呼ばれている女子マネージャーがいた。
2006年に楊志館高校に入学し、甲子園目指して練習する選手たちに感動したあっこはマネージャーになった。
自分の服が汚れるのも気にせずに選手のユニフォームの洗濯や掃除に励み、練習の合間には選手たちとキャッチボールをしたりと、
『とても明るくて活発な子だった』
と同級生で2年から主将を務めた佐藤くんは語っている。
しかし、2007年の5月。
あっこは首に違和感を感じて病院に行った。
診察結果はがんだった。
夏の県大会を控えた選手のみんなに心配はさせたくないと
『入院中は絶対に選手のみんなと会わない』
と決め、グラウンドに戻る日を信じて5か月に及ぶ辛い抗がん剤治療に耐え抜いた。
あっこが入院中に選手のみんなにと画用紙に描いた『ありがとう』
そんなあっこに毎試合終わるたびにウイニングボールをあっこへ送り届ける選手達。
決勝は会場にいた先生が携帯電話で実況中継していた。
あっこのお母さんは
『病院の廊下で携帯電話に耳を押し当てて、選手たちと一緒に校歌を歌う姿が忘れられない』
と泣きながら語ってくれた。
11月に退院したが、翌2008年2月に転移。
5月には医者から
『年を越すことはない』
と宣告された。
あっこは残された時間をグラウンドで選手たちと過ごす事に決め
『もう治療はしません』
と医者に告げた。
7月の県大会初戦もベンチで見守った。
敗退して甲子園の夢は叶わなかったが
『みんながいるから私も頑張れた』
と笑顔でナインに感謝していた。
9月23日
野球部の選手たちは
『来年、あっこと見よう』とグラウンドの花壇にチューリップを植えた。
あっこも『一緒に植える』と心待ちにしていたけど、体調を崩してしまいできなかった。
9月26日
自宅であっこが倒れて入院。
10月29日
静かに息を引き取った。
10月30日
葬儀の後、霊柩車は楊志館高校のグラウンドのダイヤモンドを一周しユニフォーム姿のナインは泣きながら校歌を歌って別れを告げた。
監督が選手たちに、一枚の画用紙をそっと差し出た。
そこにはたどたどしい
『ありがとう』
の文字。
なくなる2週間前、病室を訪れた監督が、
『何か書いてくれ』と手渡すと
目を開けられず気道を切開して話す事も出来なくなったあっこが必死に書いた言葉だった。
監督はあっこに、野球部3年の全員の進路を一人一人報告していくと、そのたびに喜んで手を強く握り返してくれたと声を詰まらせながら話してくれた。
春には選手が植えたグラウンドのチューリップが花を咲かせ、新しく入ってきたナインを見守っていた。
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