今日は狂言の野村万之丞さんをご紹介します。
中学、高校生時代、僕はワルガキで、勉強ができなかった。
親には、「代々木ゼミナールに行って来ま~す」とウソをついてお金をもらっては、その金で洋服を買ったり、酒を飲んだりして、
もらったお金は全て使い果たし、当然ながら代々木ゼミナールにも行っていなかった。
学校帰りには真面目に暴走族もやっていたし、犯罪に近い非行にも手を染めた。
若いうちから上潮ばかりの日々だと、苦労に耐えられない。
人間が青春で一番輝いている時期を棒に振るということは、将来において利きバネになるんだね。
これはまさに、僕の人生のなかの煌(きらめ)くオリなのかもしれない。
ワインだってボトルの底に溜まったオリも含めてワインなのだ。
オリだけを取り去ることはできない。
誰しも生きている間に、多少のオリはできてしまうものだ。
それがあることが人間として「良い加減」なんだと思う。
七割の安全と三割の危険、この「良い加減」を僕は楽劇的と呼んでいる。
「楽」はたのしい。
「劇」はスリルであり劇的。
「楽しく劇的なことをしようじゃないか」これが「いい加減の塩梅」なんだね。
なんでも完璧すぎるのはつまらない。
きっちり型にはまり、何事もバシッと決めてしまわなければいけない社会生活のなかで、
なぜかちょっとヌケていたり、だらしなかった方が安心し、また気持が微笑む気分になるというものだ。
今の時代はそこのところのアソビがなさ過ぎるから味気ないのではなかろうか。
「適当な内にもしっかりとした基準」の「いい加減だけど、良い加減」。
この日本文化のもっていた良さを、再発見してもらいたい。
『いい加減 よい加減』アクセス・パブリッシングより。
よぉ…
∧_∧
( ・∀・)/ヽ
ノ つつ ●.i
⊂、 ノ \.ノ
し′