現在の楼門の扁額は「寺」の部分カットしたものから作られています。 | 吉田揚子の鎌倉大好き

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◉鎌倉在住 漢方スタイリスト 文筆家 鶴岡八幡宮鶴岡文庫学芸員◉オリジナル漢方茶SHOP「きたかまくら日々響 」代表 □新刊「季節と暮らす12カ月 漢方養生ダイアリー 」第3刷重版中 ほか著書多数。
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鶴岡八幡宮は、治承四(1180)年に源頼朝によって現在の地である小林郷に遷されて以来、武士の心の拠所・文化の中心として存在し続けてきました。


上宮にご神体を改めて遷した建久2(1191)年の頃から、鶴岡二十五坊制をはじめとする諸制度が整えられ、明治初(1868)年の神仏分離に至るまで、神仏混淆の「鶴岡八幡宮寺」として鎌倉幕府の中心的役割を担っていました。


楼門中央に掲げられた八幡宮扁額の「八」の文字は八幡大神の神使とされる鳩を象っていて、寛永六(1629)年曼殊院門跡良恕の揮毫によるものです。


現在の楼門の扁額は「寺」の部分カットしたものから作られています。現在のものになる前の、寺の文字のところを消した跡があるものを上宮横にある宝物殿に展示してあるので、ぜひご覧になってみてください。


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