これを逃すと来年の1月までお目にかかれないレアな展示(八幡宮宝物殿) | 吉田揚子の鎌倉大好き

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◉鎌倉在住 漢方スタイリスト 文筆家 鶴岡八幡宮鶴岡文庫学芸員◉オリジナル漢方茶SHOP「きたかまくら日々響 」代表 □新刊「季節と暮らす12カ月 漢方養生ダイアリー 」第3刷重版中 ほか著書多数。
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鶴岡八幡宮様宝物殿。新年特別展示を見に行きました。23日までのスペシャル展示で、これを逃すと来年の1月までお目にかかれないレアな展示です。スタッフさんに確認していただいたところ、サイトなどにも一切告知されていなくて、内容についての告知も一切されないとこのこと。私もとある方から教えてもらって慌てて来訪しました。


私が最も注目したお宝は2つ。これはぜひ直接見ておく価値のあるものだと思います。そして、今後いつまたお目にかかれるかもわからない。


◉ひとつは源頼朝の銀製正観音像です。所在不明と聞いていたのでレプリカでなく本物がしれっと展示されていてびっくり。これについては今後も調査をしていこうと思っていますが、宝物殿にこのように展示されていることの意味深さを感じているところです。


源頼朝は石橋山の合戦で、髻(もとどり)の中に念持仏である正観音像を入れていたそうですが、その正観音像は、乳母が清水寺で感得した二寸の銀の像。展示されていたのはこれなのかなあ。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のなかでも、頼朝は熱心に祈りを捧げていますが、当時の武士たちは「持仏」というものを大切にして、戦の時にも携帯していたそうな。持ち運びに便利な極小タイプは髻(もとどり。髪の毛を束ねたところ)に入れて大切にしていたらしく、その持仏がたとえば無実の罪で首を切られそうになったときに助けてくれたなどの多くの逸話が存在しています。戦のない時にその持仏を安置していたところがいわゆる「持仏堂」です。ドラマの中でもそろそろ「石橋山の戦い」に差し掛かってきていますが、この髻正観音像のストーリー(しとどの泉がらみ)が、どのように描かれるのか注目したいところです。


◉もうひとつは鶴岡八幡宮の本宮(上宮)楼門に今も掲げられている額の元になっている鶴岡八幡宮扁額(京都の曼殊院の門跡、良恕入道(りょうじょにゅうどう)親王の書)。独特の「八」の字は、神聖な神の使いとされている二羽の鳩で表現されています。古くは源氏の幟旗に書かれた「八幡大菩薩」の「八」の字も鳩で描かれていたそうです。源氏に関わり深いモチーフです。


鶴岡八幡宮様はかつて神仏習合の寺だったので、いうなれば頼朝や義時が武運を祈ったのは神ではなく仏様だったかもしれません。実は、扁額のもとになった良恕の書には元来、「八幡宮寺」と4文字が記されていました。つまり鶴岡八幡宮は、かつては「鶴岡八幡宮寺」という寺的な側面ももっていたところであったと推察されます。その後、明治政府の廃仏毀釈で、仏塔などはすべて壊されてしまい、その時に扁額からも「寺」の文字がかき消されたそうです。だから「八幡宮」の「宮」の字が少し小さくてバランスがイマイチ。

実物をみてみると、割とラフにかき消された跡がしっかりのこっています。こちらは八幡宮様所有なので、いつかまたどこかで拝見させていただくことは出来るかもですが。。


かつて八幡宮様が神仏習合の寺であったことを示す名残は各所に。例えば手水鉢の下に、仏教にゆかり深い蓮の花モチーフがあったりします。これについては鎌倉散策部のときにみなさんにお話させていただきましたね。^^


このようにここ鎌倉には、いろんな妄想を膨張させてくれる小さなエッセンス(ヒント)がたくさん。面白そうな歴史的ストーリーに繋がるお宝、これからも少しずつご紹介していこうと思います。私自身、楽しみながら文献にあたったりフットワーク軽く調査したり、インタビューしたりしていけたら。ジャーナリスト気質の本領発揮。^^


 


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