竹は、節目があるから
ぐんぐん伸びる。
そのまま伸びても限界があると知り
定期的に立ち止まり、強固な節目をつくる。
それが都度の底固めとなり
その後の見事な伸びを実現する。
株でいうなら
ずっと伸び続けるとそれは急激に天井をつけ、
ゼロに戻るほどの急降下となる。
もし定期的に底固めがされていたなら
たとえ下げても極端にはならず、上げの押し目となる。
時勢の動きはここではおいておく。
山でいうなら
脇目もふらず歩いていると
いつの間にか方向がずれ迷う。
もし途中途中立ち止まり
周りを眺め、都度の確認があったなら
山頂への達成はもとより
素晴らしい景色を堪能できる。
発声でいうなら
文章を細分化して
{ありがとうございます、という言葉なら
ありがとう、と、ございます、に分けた際}、
1文字目となる「あ」と「ご」を、腹の底から言う。
その、都度の念押しが
次の言葉を気持ちよくつなぎ、
相互の腹落ちと、長く喋り続けることを助ける。
すべては竹の節目の如く。である。
節目は限界を打ち消し、それを超える踏切板となる。
人は、伸びるときには脇目もふらず
伸び悩むときはこれでもかと塞ぎこむが
いずれも限界があり、そこに節目は無い。
節目とは、底固めすることであり
それは定期的に訪れる。嫌というほどに。
なぜか。成長のためである。
人は成長するために生きている。
竹はそれを自然に淡々と成し遂げ
我々にそのあるべき姿を見せている。