竹の節目のあるべき姿 | 『心を言葉に』北島侑果 公式ブログ

竹は、節目があるから

ぐんぐん伸びる。

 

そのまま伸びても限界があると知り

定期的に立ち止まり、強固な節目をつくる。

 
それが都度の底固めとなり
その後の見事な伸びを実現する。

 

 

株でいうなら

ずっと伸び続けるとそれは急激に天井をつけ、

ゼロに戻るほどの急降下となる。

 

もし定期的に底固めがされていたなら

たとえ下げても極端にはならず、上げの押し目となる。

時勢の動きはここではおいておく。

 

 

山でいうなら

脇目もふらず歩いていると

いつの間にか方向がずれ迷う。

 

もし途中途中立ち止まり

周りを眺め、都度の確認があったなら

山頂への達成はもとより

素晴らしい景色を堪能できる。

 

 

発声でいうなら

文章を細分化して

{ありがとうございます、という言葉なら

ありがとう、と、ございます、に分けた際}、

1文字目となる「あ」と「ご」を、腹の底から言う。

 

その、都度の念押しが

次の言葉を気持ちよくつなぎ、

相互の腹落ちと、長く喋り続けることを助ける。

 

 

すべては竹の節目の如く。である。

節目は限界を打ち消し、それを超える踏切板となる。

 

人は、伸びるときには脇目もふらず

伸び悩むときはこれでもかと塞ぎこむが

いずれも限界があり、そこに節目は無い。

 

節目とは、底固めすることであり

それは定期的に訪れる。嫌というほどに。

なぜか。成長のためである。

 

人は成長するために生きている。

竹はそれを自然に淡々と成し遂げ

我々にそのあるべき姿を見せている。