いま目に映るもの | 『心を言葉に』北島侑果 公式ブログ

有事の際にとる行動が

その人の今の心である。

※ここでは性善説は置いておきます。

 

自分だけ逃げようとするのか

人を助けようとするのか

 

この差はとても大きい。

 

 

今だからこそ

このふたつの差を

はっきりと感じる方も多いはず。

 

わたしの尊敬する人たちは

どんな状況であろうといつも快く耳を傾けてくれる。

ありがたい想いでいっぱいになる。

「心から感謝しています」といつも節々にお礼を言う。

そしてわたしもそういう人になりたいと心から思う。

 

 

有吉さんが数年前

マツコさんとの番組でこういうことを言っていた。

 

僕は死ぬときは

誰かを助けて死にたい。

 

今もそう思っておられるかはわからないが

私も同感だ。

 

布団の上で逝きたいとか

誰かに看取られたいとか

そういう願望はさらさらない。

 

誰かを助けて逝けるなんて

そんな幸せなことはないと思っている。

この想いはこの先何十年経っても変わらない。

 

もちろん生きている間は

自分がこの世でできることを精一杯するつもりだ。

この心を深めるために。今のままでは不十分すぎる。

 

贅沢したいとか、いい生活したいとかさらさらない。

収入のほとんどは困った人に寄付したいと思っている。

生活するお金は最低限あれば十分だ。

世の中には水すら満足に飲めない人がたくさんいる。

その人たちのことを考えると、楽をしようとする自分を滑稽に感じる。

 

 

誰かを助けるということは

ひとつじゃない。

 

人の数だけ視点があり

視点の数だけ助ける方法がある。

 

ここに綴ることは

ほんのひとつの視点にすぎない。

 

 

世の中には

逃げる人もたくさんいる。

 

困った人をみかけても正当な主張で遠ざけ

自分には関係ないと見て見ぬ振りをし

今のいい生活を守りたい

自分だけ良ければ満足だと。

 

それを非難するわけではない。

何に幸せを感じるかは、

生き方は、人それぞれだ。

 

ただ、有事の際の行動とは

なんと人の心をはっきりと見せるものだなと

改めて思ったのだ。

 

もちろん他人事ではない。

わたしにもそんな部分が大いにある。

そのことに気付いたときは心底がっかりする。

あまりの愚かさに涙がでる。

 

 

時代が時代だけに

逃げる人は淘汰されると言われている。

人を助ける人だけが残っていくと。

 

わたしは生き残りたいわけではない。

そういう時代に着実に進んでいるのだなと感じるのだ。

 

 

誰かのために生きたい。

そんな想いが強まったため

書き留めました。

 

久々の投稿にもかかわらず

読んでいただき誠にありがとうございます。