書店消滅と民主主義の危機

― 本が消える社会で、何が起きるのか ―


特定社会保険労務士・作家 北出 茂

 

日本の町から書店が静かに消えている。

これは単なる商売の浮き沈みの問題ではない。日本社会の知的基盤、さらには民主主義そのものに関わる問題である。私は社労士として多くの中小企業の現場を見てきたが、地方都市を訪れるたびに必ず一つの変化に気づく。それは「駅前から本屋が消えている」という事実である。

 

かつて地方都市には必ず書店があった。駅前の小さな書店、商店街の本屋、学校の近くの書店。そこは単なる物販の場所ではなかった。本はもちろん、雑誌、新聞、地図、受験参考書、時には思想書や政治書も並び、地域の知的空間として機能していたのである。

しかし現在、日本では書店のない自治体が急速に増えている。経済産業省の調査によれば、日本の書店数は1990年代の約2万店から大きく減少し、現在はその半数以下となっている。さらに深刻なのは、自治体単位で見た場合、書店が一軒も存在しない「書店空白地域」が拡大していることである。

 

この問題は、単なる業界の衰退ではない。むしろ、社会全体の構造変化を映す鏡なのである。

本屋は「思想の市場」であった

民主主義社会において最も重要なものの一つは、思想の自由市場である。

人々は様々な意見に触れ、自分の考えを形成する。その過程で社会は成熟していく。書店とはまさに、その思想の市場であった。

 

書店の棚を思い浮かべてほしい。

政治思想の本があり、歴史書があり、経済書があり、反体制の書物があり、保守思想の本もある。そこでは異なる意見が同じ棚に並んでいる。読者はそれらを手に取り、読み比べ、自分なりの判断を形成するのである。

この空間は、民主主義にとって極めて重要である。

 

ところが、書店が消えるとどうなるか。知識への入口が狭くなるのである。

もちろん現代にはインターネットがある。電子書籍もある。しかし、ネットの世界には別の問題がある。検索アルゴリズムやSNSの仕組みは、人々を自分と似た意見の世界へ閉じ込める傾向がある。いわゆる「エコーチェンバー現象」である。

つまり、人々は自分がすでに信じている意見ばかりを読むようになる。

 

書店の棚には、偶然の出会いがあった。

しかしネットの世界には、偶然が少ないのである。

この違いは、民主主義にとって決定的に重要である。

書店員という知識労働者

私は社労士として、書店員の労働環境にも強い関心を持っている。

書店員という仕事は、単なる販売職ではない。むしろ高度な文化労働である。

書店員は膨大な新刊情報を把握し、棚を構成し、読者に本を紹介する。地域の学校のニーズを理解し、児童書を揃え、受験期には参考書を充実させる。文学好きの店員は小説の棚を工夫し、思想に詳しい店員は政治書の棚を整える。

つまり書店員は、地域の知的編集者なのである。

 

しかし現実の労働環境は厳しい。

出版業界の構造問題として、書店の利益率は非常に低い。多くの書店は薄利で経営されており、賃金水準も高いとは言えない。長時間労働や人手不足も珍しくない。

 

さらにネット通販の拡大によって売上は減少し、店舗の閉鎖が続いている。

この状況は、文化労働の軽視とも言える。

社会が知識を尊重するならば、知識を扱う労働者を尊重しなければならないのである。

経営者の苦悩

ただし、この問題を単純な善悪の構図で語ることはできない。

書店経営者もまた、厳しい現実の中で戦っている。

書店の利益率は極めて低い。一般的に書籍の粗利は2割前後であり、そこから人件費、家賃、光熱費を支払わなければならない。都市部では家賃の高騰が大きな負担となる。

さらに出版流通には返品制度が存在する。売れなかった本は出版社へ返品できるが、その作業には労力がかかる。書店員は日々大量の段ボールを開封し、陳列し、売れ残った本を箱詰めする。

つまり書店の現場は、文化と物流の間で揺れているのである。

書店経営者の多くは、本が好きでこの仕事を選んだ人たちである。しかし情熱だけでは経営は続かない。現実の市場競争は厳しいのである。だからこそ、この問題は社会全体の問題として考える必要がある。

書店が消える社会

書店が消えると何が起きるか。

 

第一に、地方の知的環境が衰退する。

子どもが偶然本に出会う機会は減る。学校の外で知識に触れる場が減る。地域の文化活動も弱くなる。

 

第二に、思想の多様性が失われる。

ネットの世界では、人気のある本だけが目立つ。アルゴリズムが売れる本をさらに売れるようにする。結果として、思想の幅が狭くなる。

 

第三に、社会の分断が深まる。

異なる意見に触れる機会が減ると、人々は自分の世界観の中だけで生きるようになる。対話は難しくなり、政治は極端化する。

これは世界各国で指摘されている問題である。

 

つまり書店の消滅は、文化問題であると同時に民主主義の問題なのである。

書店を守るという選択

では、どうすればよいのか。

答えは簡単ではない。しかしいくつかの方向性は見えている。

 

第一に、出版流通の改革である。返品率の改善、データ活用、物流効率化などが必要である。

第二に、書店の役割を再定義することである。単なる販売店ではなく、地域文化の拠点としての機能を強化する。イベント、読書会、地域教育などである。

第三に、社会が書店の価値を再認識することである。

 

文化は自然には残らない。社会が守ろうとしなければ消える。

書店は利益だけで測るべき存在ではない。知識のインフラとしての価値がある。

民主主義は、情報と知識の上に成り立つ。

 

もし本屋が消える社会になれば、民主主義もまた静かに弱っていくであろう。

本を守ることは、社会を守ることである。

そしてそれは、私たち一人ひとりの責任でもあるのである。


参照情報

・経済産業省「書店振興プロジェクト」
・出版科学研究所『出版指標年報』
・全国出版協会統計資料
・文化庁「読書活動推進に関する調査」
・総務省 地域文化政策資料