「自由な共産主義」という言葉の検証

― 社会を語るとき、私たちは自由をどこまで守れるのか ―

 

特定社会保険労務士・作家 北出 茂

 

近年、日本共産党は「自由な共産主義」というスローガンを掲げ、青年層や労働者層に向けた新しい宣伝活動を展開している。主な媒体は党機関紙であるしんぶん赤旗やSNS、オンライン動画などである。学生団体や労働運動の場でも、この言葉が語られる機会が増えている。

 

このスローガンの背景には、共産主義に対する長年のイメージ――すなわち「共産主義には自由がない」という批判を乗り越えたいという意図がある。党自身も、こうした批判を「反共攻撃」と呼び、党勢が伸び悩んでいる要因の一つとして分析している。

党の理論的説明の中心に立つのが、党議長である志位和夫である。志位氏は著書『Q&A共産主義と自由』の中で、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが『共産党宣言』の中で述べた次の言葉を引用する。

「各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件である連合体」

この言葉は、確かに魅力的である。搾取のない社会、長時間労働から解放された社会、人間の創造性が花開く社会――それは多くの人が望む理想像でもある。

しかし、政治思想を評価するときに重要なのは「理念」ではなく「制度」である。理念は美しく語ることができる。だが制度は、必ず現実の権力構造として現れる。

 

社会保険労務士として労働現場を見てきた者として言えば、「理念だけの制度」はしばしば弱者を守らない。むしろ逆に、強い権力を持つ組織が暴走したときに、それを止める仕組みがあるかどうかこそが重要なのである。


「言論の自由」という民主主義の核心

ここで避けて通れないのが、「言論の自由」の問題である。

言論の自由とは単に意見を述べる自由ではない。

政治的には「政府を批判する自由」を意味する。これは民主主義の核心であり、日本では日本国憲法第21条によって保障されている基本的人権である。

 

思想家の小泉信三は著書『共産主義批判の常識』の中で、言論の自由を次のように説明している。

言論の自由とは、政府当局者を批判する自由であり、民主主義の精髄である。

この視点から見たとき、「自由な共産主義」という概念は本当に成立するのかという疑問が生じる。

なぜなら、歴史上の社会主義国家では、政権を批判する自由がほぼ例外なく制限されてきたからである。

社会主義国家における「自由」の現実

20世紀の社会主義国家の歴史を振り返れば、この問題は非常に明確である。

旧ソ連では政権批判は「反革命罪」として処罰され、多くの知識人や政治家が逮捕され、強制収容所に送られた。現在の中国でも、国家を批判する言論は「国家安全危害罪」などの名目で処罰されることがある。

また、北朝鮮では体制批判は「反党・反革命」として厳罰の対象である。

 

これらの国の憲法を読むと、表面的には言論の自由が書かれている。

例えば1936年のソ連憲法(いわゆるスターリン憲法)にも言論の自由は記載されていた。しかしそれは「社会主義体制を守る範囲で」という条件付きの自由であった。

つまり、政府批判が許されない時点で、民主主義的な言論の自由とは本質的に異なるのである。

プロレタリアート独裁という理論

この問題の根底には、マルクス主義の核心概念がある。

それが「プロレタリアート独裁」である。

革命家のウラジーミル・レーニンは著書『国家と革命』で次のように述べている。

プロレタリアート独裁とは、抑圧者に対する暴力的抑圧の権力である。

つまりこの理論は、資本家階級を政治的に排除し、労働者階級が国家権力を独占することを意味する。

この構造は必然的に一党支配を生みやすい。なぜなら「革命の敵」を排除するという論理が、政治的反対者の排除につながるからである。

歴史的に見れば、ソ連、中国、北朝鮮などでこの構造が実際に現れた。

日本共産党の立場

日本共産党は1976年に「自由と民主主義の宣言」を発表し、多党制や基本的人権を尊重する立場を示した。これは一定の変化である。

しかし同時に、党の理論的基礎としてマルクス主義を維持していることも事実である。党内制度も「民主集中制」と呼ばれる組織原理を採用している。

民主集中制とは、内部で議論は許されるが、最終決定には全員が従うという原則である。この制度は組織の統一性を高める一方で、権力が中央に集中する傾向を持つ。

近年、党内で意見の対立が起きた際に除名問題などが起きたことは、この制度の閉鎖性を指摘する議論を再び呼び起こした。

労働問題の現場から見える視点

ここで、社会保険労務士としての実務的視点を述べたい。

労働現場において重要なのは、「どの思想が正しいか」ではない。
重要なのは、「労働者の権利が守られるか」「企業が持続可能な形で経営できるか」である。

実際の社会では、極端なイデオロギーが労使関係を硬直化させることがある。労働者側が企業を敵とみなしすぎても問題が生じるし、企業側が労働者の権利を軽視しても紛争は激化する。

 

私が多くの紛争解決の現場で見てきた結論はシンプルである。

労使双方が自由に意見を述べられる社会こそ、最も紛争が少ない。

自由な議論ができる社会では、労働問題も政治問題も調整が可能である。だが自由が失われた社会では、対立は暴力か沈黙という形でしか表れなくなる。

思想よりも制度を問う社会へ

政治思想は多様であるべきである。
資本主義を批判する思想が存在すること自体は、民主主義社会にとって健全なことである。

しかし同時に、その思想が実際にどのような制度を生み出すのかを冷静に検証する必要がある。

歴史が示しているのは、権力を一つの組織に集中させる制度は、必ず自由を侵食するという事実である。

 

自由とは、単なる理想ではない。
自由とは、権力を監視する制度によって守られる現実の仕組みなのである。

 

社会保険労務士として、そして法律実務家として私はこう考える。

どの政治思想であれ、人間の尊厳を守る制度を持たない思想は危険である。

そして社会的弱者を守るために必要なのは、強いイデオロギーではない。

必要なのは、
自由な言論、
透明な政治、
そして法の支配である。

その三つがそろった社会こそが、本当に人を守る社会なのである。

参照情報

・日本共産党
・しんぶん赤旗
・志位和夫『Q&A共産主義と自由』
・カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言』
・ウラジーミル・レーニン『国家と革命』
・小泉信三『共産主義批判の常識』
・日本国憲法第21条
・旧ソ連憲法(1936年)
・中華人民共和国憲法
・各国社会主義体制に関する歴史資料