統一教会への解散命令

――被害の実態と法的判断

特定社会保険労務士・作家 北出 茂

 

2026年3月4日、東京高等裁判所は、世界平和統一家庭連合(いわゆる旧統一教会)に対し、東京地方裁判所が命じた解散命令を支持する決定を下した。

これにより、同教団は宗教法人としての地位を失い、優遇税制を受けられなくなるとともに、財産の清算手続きが開始されることとなった。

最高裁判所への上告は可能であるものの、高裁の判断は即時効力を有するものとして扱われる。

この判決は、単なる宗教団体の存続問題を超えて、長年にわたる深刻な社会的被害の実態を法がどう評価したかという点で意義深いものである。

■ 長年の被害と法的判断

旧統一教会を巡っては、1980年代以降、信者やその家族が高額な寄付や財産の提供を求められ、経済的困窮や家庭崩壊に至ったケースが多数報告された

文部科学省が2023年10月に解散命令を請求した根拠として、長期間かつ大規模な被害が生じたことが挙げられる。裁判所の判断では、献金勧誘などにより「看過できない程度の被害が生じている」とした。

東京地裁は2025年3月の原審で、信者らへの献金の総額が数十億円規模に上る可能性を指摘し、同教団の行為が公益を著しく害していると認定して解散命令を出した。これを受けて教団が即時抗告していたが、東京高裁は地裁の判断を支持したのである。

■ 解散命令の法的背景と影響

日本の宗教法人法や関連民法は、団体の行為が公益を著しく害する場合、解散命令を出すことができる規定を有している。

今回の判断は、その規定が実際に機能した珍しいケースであり、過去には同様の適用例は極めて限られている。

解散命令の効力は、たとえ最高裁で最終的な判断が争われるとしても、高裁決定の時点で発生する。教団は宗教法人格を喪失し、税優遇が取り消されるだけでなく、社会的信用も大きく失うことになる。

これを受けて清算手続きが進められることになるが、そこでは裁判所が選任する清算人が教団の財産を管理し、被害者救済や債務の整理を進めることになる。被害者は清算過程で賠償を請求できる可能性があるとされている。

■ 法と人権 宗教の自由との関係

教団側は解散命令を「宗教の自由への侵害」と主張し、最高裁への上告を視野に入れているとされる。

宗教の自由は日本国憲法でも保障された基本的人権の一つであるが、その保障は絶対ではない。宗教活動が他者の人権や社会の秩序を著しく損なう場合、国家が介入する余地を有するというのが法秩序の基本である。

 

多くの被害者が語るように、教団の勧誘や寄付の要求は、心理的な coercion (強制・圧迫)の側面を伴い、信徒自身やその家族の生活基盤を破壊してきたという面がある。こうした被害が長年積み重なった結果、国家がその対応を迫られたのである。

■ 社会的意義と再発防止

この高裁決定は、単なる報復や一宗教団体への弾圧でない。

日本社会が長年放置してきた悪質な寄付勧誘や人的被害への法的対応の一例として位置づけられる。被害者救済と、同様の事態が再び起きないための抑止力としての意味を持つ。

一方で、宗教の自由という原則とのバランスの問題は引き続き議論が必要である。宗教活動の範囲と、社会的被害との境界をどのように描くのかは、法治国家として深く考えるべきテーマである。

■ 私の立場――悪質行為を許さない社会へ

私は長年、労働や社会保障、人権の現場に関わる社労士として、多くの人々が不当な扱いや搾取によって苦しんできた現実を見てきた。悪質な行為は、企業や組織の大小にかかわらず、徹底的に検証されるべきであるし、事実として社会に害を与えてきた行為には法的責任が問われるべきであると考える。

 

今回の高裁の判断は、その点で一定の判断を示したものであり、個人の尊厳や社会的正義を守るための法的対応として評価できる。

悪質な団体が法の網から逃れることを許すわけにはいかない。

宗教の名称が何であろうと、人権侵害や経済的搾取、社会秩序の破壊につながる行為は断じて許されないのである。

それは、法と倫理が共に求める社会の基本であり、今回の判決はその一歩であると私は考える。