75歳まで働く時代到来 ロスジェネ世代の嘆息

 

特定社会保険労務士・作家 北出 茂

 

「もう波平さんにはなれない」――この嘆きは単なる懐古趣味ではない。

日本社会の構造変化を前に、人生設計そのものが書き換えられている現実への、切実な声である。

 

事実を確認しておこう。

まず、定年制度においては、かつて多くの企業で一般的であった55歳定年は、1970年代以降、段階的に60歳へと延長された。その後、厚生労働省主導の制度改正により、企業には65歳までの雇用確保措置が義務づけられた。さらに、2021年施行の改正高年齢者雇用安定法により、70歳までの就業確保が「努力義務」となった。

次に、年金制度においては、日本年金機構が運用する老齢年金について、受給開始を75歳まで繰り下げ可能とする仕組みが導入されたのである。

 

私は社労士であり、年金の専門家でもある。

繰り下げ受給を選択すれば、1か月あたり0.7%、最大で84%の増額となる。

制度上は「長く働き、遅く受け取れば多くもらえる」という設計である。

しかし、その裏側には、「75歳まで働ける健康と雇用機会があるのか」という重大な前提が横たわっている。この前提が崩れれば、制度は机上の空論に堕する。

 

象徴的に語られるのが、国民的アニメであるサザエさんの磯野波平である。設定年齢は54歳。持ち家の一戸建てに住み、専業主婦の妻と子ども、同居家族を養い、安定した会社員生活を送る姿は、戦後日本の「標準モデル」であった。

 

高度経済成長期からバブル期にかけての終身雇用・年功序列型賃金体系のもとでは、一定年齢まで勤続すれば賃金は上昇し、退職金と公的年金で老後を支えることが可能であった。

 

しかし、このモデルはすでに歴史的存在である。

特に厳しい立場に置かれているのが、いわゆるロスジェネ世代である。

1990年代後半から2000年代初頭の就職氷河期に社会へ出た世代は、非正規雇用や低賃金に甘んじざるを得なかった者が多い。

厚生年金への加入期間が短く、将来受け取る年金額も限定的となる可能性が高い。退職金制度がない企業も増えた。

結果として、「長く働き続けるしかない」状況に追い込まれているのである。

 

社労士として現場に立つ私は、日々その現実を目の当たりにしている。60代後半で再雇用されたが賃金は半減し、責任だけが重い。70代に入っても生活費を補うためパートを続ける。体力の衰えと医療費の増大に直面しながら、「まだ働けるか」と自らを鼓舞する姿は決して珍しくない。

 

問題は、これが「自己責任」の物語として語られがちな点である。

制度設計の変更、企業の雇用慣行の変化、経済政策の帰結といった構造要因を無視し、個人の努力不足に帰する風潮は断じて容認できない。

悪質なのは、不安を煽りながら実効性の乏しい投資商品や高額セミナーへ誘導するビジネスである。老後不安に付け込む行為は社会的弱者への搾取であり、断固として許されるものではない。

 

もちろん、健康で意欲があり、働くこと自体を生きがいとする高齢者が活躍する社会は望ましい。

しかしそれは「働かねば生きられない社会」とは本質的に異なる。

選択肢としての就労と、強制された就労は全く別物である。

 

年金制度は世代間扶養を基礎とする社会保険である。

少子高齢化が進む中で制度の持続可能性を議論することは避けられない。

しかし、制度改革は透明性と公平性をもって行われるべきであり、特定世代に過度な負担を押し付ける形であってはならない。

 

「もう波平さんにはなれない」という言葉の奥には、「安心して老いを迎えたい」という普遍的な願いがある。

 

私は社労士として、そして物書きとして、この願いを軽視する社会に警鐘を鳴らし続ける。

高齢期の尊厳は、経済効率よりも優先されるべき価値である。

人生100年時代と言うならば、その100年を支える制度の責任もまた100年分の重みを持つべきである。

 

働くことは尊い。しかし、働かされ続けることは尊厳を蝕む。

制度の本旨を見失わず、弱き立場の声に耳を傾ける社会こそが、真に成熟した国家であると私は確信する。