ゴジラ映画の11作目。
キテレツである。
前作で子どもファンにアピールしたはずなのに、だ。
一転、灰色の社会派。
環境問題をネットリと訴えてくる熱が凄い。
ヘドラのドロドロな威力
冒頭から飛ばしていくスタイルだ。
水銀・コバルト・カドミウム〜♪
意表を突くオープニングテーマ曲に膝が震える。
公害憎しの歌詞が、これから先の混乱を予想させて不穏。
→『かえせ!太陽を』歌詞(別サイト)
ゴミやヘドロが漂う海面。
あっちの汚泥、こっちのゴミ溜まりにズームインするカメラ。
うへえ…である。
しばらく、潔癖症が卒倒する映像が続きます。
時代は高度経済成長期である。
湾岸の工業地帯では、盛大に公害が発生。
人間が自然を汚した、その中から生まれてきたのが怪獣ヘドラだ。
上陸したヘドラによって、大破壊が繰り広げられる。
その造形がモーレツ!
ドロドロである。
ヘドロ起源ならではの変化も見せてくる。
何やら、庵野秀明監督への影響も伺える特色ではないか。
ヒッピー風な若者、歌、ゴーゴーダンスと、当時の世相を大反映。
それらがあまりにも強烈だからか、脳がぼーっとしてくる始末。
観てはいけないものを見ている感覚だ。
ある種、トランス状態に陥る危険性がある。
うむ。これ、子ども向けではない。(確信
キャストとスタッフ
柴俊夫(当時は柴本俊夫)が、『デビルマン』の不動明そのもの。本作の方が発表が早いので、モデルだと言われても納得できるほど。
博士役の山内明は、ほとんど横たわり芝居。
博士ジュニア役の川瀬裕之が素直。小5で子役を引退とは、人生の展開が早い。
円谷英二特技監督が亡くなられてから、最初に作られたゴジラ映画である。特技担当は中野昭慶となった。監督の意向によるものだろう、特撮場面は主に暗い。
間に挟まれるアニメーションが、オシャレかつ独特な恐ろしさ。
坂野義光監督の原案・脚本の映画化なのだが、東京大学のご出身と知って合点がいった気がする。東宝への入社も、あの白洲次郎の紹介だったそう。…家柄!
本作の完成品を観た田中友幸プロデューサーに激怒され、以降、監督から外されてしまったというエピソードが泣けてくる。
公害問題を怪獣が訴える
ヘドラの赤い目は夢に出てきてしまいそう。
もちろん、悪夢として、だ。
ゴジラとの戦いも、これまでとはかなり違う。
一つ一つの戦いに意味を含ませている。
うっかり浮かれて劇場に出かけた子どものトラウマになったのではと、時を超えて心配になってしまう衝撃シーンの数々。
大人にはカルト人気が根強い本作だ。
肝心の子どもたちの評判は、どうだったのだろうか。
ただ、あのブッ飛びシーンについては、両者ともに腰が抜けたと予想する。
本作が異色中の異質になっているのは、アイデアだけではない。
まず、キャストが少ない。
オール国内ロケである。
製作費の目減りが伺える。
当時、TVの台頭で映画館収入が激減したのだとか。
これまでで最も少ない予算だった模様だ。
こうしてシリーズものを見てくると、そんな世情も垣間見えて興味深い。
徹底して作風が独立しているので、スピンオフのよう。
ゴジラに子供ができた日、モスラが羽を広げた日。
そんな華々しい頃もあったねと、もはや懐かしい。
それらを経ての、社会問題提起・特撮映画だ。
1970年代の公害問題がいかに深刻だったか、よく分かるというもの。
形状が安定しないヘドラの形態は、膨らむ諸問題にも通じる。
あんなに寂しげなゴジラの姿は初めて見たかもしれない。
1971年製作/85分/日本
英語タイトル:Godzilla vs Hedorah
配給:東宝
監督・原案・脚本:坂野義光、脚本:馬淵薫、製作:田中友幸、特殊技術:中野昭慶、撮影:真野田陽一、出演:山内明、木村俊恵、川瀬裕之、真里圭子、柴俊夫、中島春雄(ゴジラ)、中山剣吾(ヘドラ)
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