浅茅野第一飛行場跡・・・。 | 北のチャーリーのブログ

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第二飛行場跡を訪れる前に、第一飛行場跡を探訪しました。

国道238号側から飛行場前駅跡を通って向かうと、新しい発見が出来ないかと思い、クッチャロ湖脇の道道84号から710号へと南側から攻めてみました。

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現在のGoogleの航空写真が不鮮明だったが、77’の写真と大差は無いように感じました。
各所に掩体壕も有ったようですが、現状としては瓢箪沼の南側⑧に5箇所残っているのみで、それ以外は農地として整備されてしまったようです。

滑走路の跡も何となく通路の形状として残っているかな?と言う感じです。


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40年ほど前の飛行場跡(1977.10.20)

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終戦後(1948.05.07)

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合成写真

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①滑走路南西側

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③滑走路北東側

第二飛行場跡と同様に、牧場として整備されてしまっているので、遺構の殆どが残っていません。

唯一残っていたのが、旧道に架かっていた橋の橋脚一箇所だけでした。戦後の航空写真を見ると、現道より少し北側に伸びていたようです。

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④旧道の橋脚跡(現道より少し北側ルートだった)

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④旧道の橋脚跡

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④旧道の橋脚跡

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④旧道の橋脚跡から南西側

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旧天北線跡がサイクリングロードとして利用

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⑤旧天北線(浜頓別町側)

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⑥旧天北線(猿払村側)

天北線は出張の時に利用した事がありましたが、この飛行場前駅の存在は知りませんでした。急行だったら通過していたのかも知れません。

今は寂しく枠だけが残っている駅看板に、資料館に有った駅銘板を合成して、当時の面影を再現してみました。

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⑥飛行場前駅

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⑥飛行場前駅(合成)

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⑥飛行場前駅(合成)

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⑥飛行場前駅(一部鉄骨材はレール)

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⑦橋脚跡へは国道238号から左折(サルフツ農協給油所跡)

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⑦国道238号 バス停

現在もバス停として名前が残っています。知らない人が見ると非常に不思議な感じがします。

唯一残っている掩体壕ですが、個人の牧場敷地にある為、近寄ることが出来ませんでした。道路脇からでもしっかりと土盛りは確認できました。

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⑧牧場脇から見える掩体壕の土盛り

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旧鬼志別駅(現バスターミナル兼 天北線資料館)

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資料展示の様子

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資料展示の様子

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資料展示の様子

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この看板を合成した

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資料展示の様子

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資料展示の様子(廃線1ヶ月前の改定運賃表)

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資料展示の様子(廃線5ヶ月前の時刻表)

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廃線を伝える猿払村広報誌

戦争遺構も廃線跡も歴史の中に埋もれる事だけは無いように、しっかりと後世に語り残して行きたいとも感じました。