【75点】2016年6月。キネマ旬報・編


〜銀幕のスターたちは語る〜
映画雑誌「キネマ旬報」に連載された映画評論家・山本恭子、インタビュー「おたずねします」が元になっています。
直近の出演作品の話しが中心に進みますが、
映画界、映画会社、海外進出、テレビ出演の是非、といったシビアな話しや、
恋愛観・結婚観といったプライベートまで、柔らかく突っ込んで聞き出します。



1961年=昭和36年、なんと私の生まれた年です。(63年前)
まさに映画の黄金時代です。
しかし、この翌年頃から斜陽下していきます。テレビの普及と急成長によるものです。



石原裕次郎:大人の本当のアクション映画をやりたいな、映画はやはり面白くなくちゃね (1961年1月)
…(テレビについて) 「テレビには出ちゃいけないんです。ぼくはテレビというのはきらいだから。」
当時27歳。1987年7月、52歳没。



三船敏郎:映画に日本独特のものをもっと出して、映画祭で日本を認識させたい (1961年9月)
…(テレビについて) 「ぼくは不器用ですからね。一つに対することでいいと思うんですよ。できる人はけっこうだけれども、ぼくはできないから。負けおしみでいってるわけではないけれども、ぼくは映画だけしかやりません。」
当時41歳。1997年12月、77歳没。

★裕次郎とミフネ、日本を代表する二大スターが、当時テレビを否定しているのが、皮肉というか……時代の流れを感じます。
石原裕次郎は、1972年「太陽にほえろ!」で本格的にTVドラマに参戦します。その後、石原プロを率いて「大都会」「西部警察」とテレビ中心の活躍となります。
三船敏郎は、1971年に三船プロを率いて「大忠臣蔵」でTVドラマに参戦し、「荒野の素浪人」等々テレビ中心の活躍となります。




月形龍之介:時代劇は誇張の美しさであり、誇張の面白さにある (1961年6月)
当時59歳。1970年8月、68歳没。



加東大介:加東大介は現代劇が上手くできると、成瀬(巳喜男)先生が東宝に推薦してくれました (1961年12月)
当時50歳。1975年7月、64歳没。



早川雪洲

:ハリウッドでは金がどんどん入ってきて、パーティしかやることがなかった (1961年4月)

★伝説の「早川雪洲」若い頃の美顔と、「戦場にかける橋」(1957年) の顔、天と地ほど違うのには驚愕です。m(__)m

当時75歳。1973年11月、87歳没。



山本富士子:スクリーンに映る俳優という、自分とは別のもう一つの自分を演じたい (1961年2月)
当時30歳。現在92歳。ご自愛ください。



岸惠子:つまらない外国映画に出るよりも、日本でいい映画に出たい (1961年11月)
当時29歳。現在91歳。ご自愛ください。



岡田茉莉子:自分の好きな企画を、好きな人たちと、好きなようにやりたい (1961年8月)
…(結婚は?)「もうくたびれちゃった、恋愛も (笑)。ニ、三年前は、女の子として結婚が第一だなんて考えていましたよ。でもここへきて、仕事を第一に考えてゆく気持になったんです。」
★1964年、映画監督の吉田喜重と、ご結婚されました。
当時28歳。現在91歳。ご自愛ください。



淡島千景:小津先生の現場ではベテランが震えている、新人の私なんかどうしたらいいかわからないよの (1961年10 月)
当時37歳。2012年2月、87歳没。



若尾文子:平凡な私はカメラワークからはみ出すくらいに、その時の気持ちに応じて動くほうが、迫力が出るんじゃないかな (1961年11月)
…「それがね、あたし、結婚したいな、しようと思ったのは、ほんとに最近なんですよ。仕事に意欲というか、はっきりした気持ちが出て来たと同時に、初めて結婚もちゃんとやって、両方やっていけるんじゃないかという自信が出て来たんです。」
★1963年、ご結婚されましたが、1969年に離婚。その後、1983年に建築家の黒川紀章と再婚されました。
当時28歳。現在90歳。ご自愛ください。



水谷良重:新派の型といっても、私は古いものはやらせてもらえません。新作ものには手本がありませんから、自分なりにやらせてもらいます (1961年3月)
当時22歳。現在85歳。ご自愛ください。



三島由紀夫:映画芸術は芸術的動機でも心理的動機でもなく、時間の秩序をひっくり返すというのがとても新鮮で面白かった (1961年5月)
…「むしろ自分がものとして扱われているという快感というものは、映画スターをやめられないってことになりますね。」
当時36歳。1970年11月、45歳没。



市川崑:映画監督はブルジョアでなければいけない。理想は自分でお金をにぎるということ (1961年7月)
…「やっぱりテレビとうのは、見送るわけにはいかんでしょう。これを見送ると三振しちゃいますね。見送れない存在ですよ。だから映画会社がテレビをやっちゃいかんといっているのは、ほんまにそのこと自体、ずれているんですね。どんどんあっちから吸収したほうがいいですよ。」
★1972年、フジテレビで「木枯し紋次郎」を大ヒットさせる。
当時45歳。2008年2月、92歳没。



●こんな企画、令和時代のキネマ旬報で、待っていますよ!