★2019/10/2追記
『太陽を盗んだ男』公開(1979.10.6)
40周年記念 長谷川和彦、はるか彗星のごとく。
→東京・池袋「新文芸座」にて上映中。
10/1~10/2:「青春の蹉跌」「アフリカの光」
10/3~10/7:「太陽を盗んだ男」「青春の殺人者」


2本立てです!(若い人知ってる?)
会社ズル休みして、いってきま~す!(^o^)
*****追記END*****

『長谷川和彦は、なぜ映画を撮らないのか?』

もはや、昔話なのでしょうか?



★1979年当時 (40年前です)、日本映画界の寵児であり、風雲児であった。
黒澤明の後継者は、長谷川和彦しか絶対にいない。
誰もが (私も…) 1ミリの迷いなく確信していた。
………が、しかし……



【長谷川和彦】
通称【ゴジ】(ゴジラそっくり)
映画監督。1946年1月生、73歳。
広島県出身、被曝2世。
東京大学・文学部英文科、中退。アメリカン・フットボール部在籍。
1968年、今村プロ (今村昌平監督) 入社。
1971年、日活契約助監督となる。



【脚本】
「性盗ねずみ小僧」(1972年)
「濡れた荒野を走れ 」(1973年)
「青春の蹉跌」(1974年)
「宵待草」(1974年)
「悪魔のようなあいつ」(1975年、TVドラマ)



そして、
【監督】
★「青春の殺人者」(1976年、監督。132分)
キネマ旬報・日本映画第1位。
製作:今村プロ、綜映社、ATG。配給:ATG。
原作:中上健次。脚本:田村孟。
音楽:ゴダイゴ。
出演:水谷豊、原田美枝子、市原悦子、内田良平。



★「太陽を盗んだ男」(1979年、監督・脚本。147分。)
キネマ旬報・日本映画第2位
製作:キティ・フィルム。配給:東宝。
原作:レナード・シュレーダー、脚本:レナード・シュレーダー、長谷川和彦。
音楽:井上堯之。
出演:沢田研二、菅原文太、池上季実子、伊藤雄之助、佐藤慶、神山繁、北村和夫。

…私的・日本映画ベストワン!今見直してもベストワン!
傑作中の傑作!マジ、超必見です!



★これ以降40年、監督としては映画を撮っていない………



【ディレクターズ・カンパニー】
1982年、設立。
代表 (取締役):長谷川和彦。
石井聰亙、井筒和幸、池田敏春、大森一樹、黒沢清、相米慎二、高橋伴明、根岸吉太郎。

…当時とんでもないメンバーの監督たちが参加し、日本映画界の梁山泊 (豪傑や野心家の集まる場所) でした。

「一人の監督の主宰する独立プロではなくて、企業としてもちゃんと映画を作っていける集まりを作りたい」

「最低5年は生き残らないといけない。その時には映画界の状況も変わってると思うし、一緒に手を組んでやっていける新しい仲間がきっと見つかると思う。配給系統なんてことはその時に初めて考え得ることかもしれない」

「とりあえずは10人足らずでスタートするけど、5年たったら20人になってるかもしれない。新しい10人はこれから僕らが発掘したり製造したりしていくわけで、それこそ20年後には僕らの劇場ができたりしたら、もう映画を撮れなくなってる長谷川なんて奴は、劇場の前で大声で呼び込みなんかしてれば大納得だもんね」…予言かよ。

が、1992年、倒産。



【長谷川和彦・語録……いまさらですが…】

「日本のジェームズ・ディーンやらないか?」(「青春の殺人者」の水谷豊に対して。)

「みかけよりずっと硬派な男だよ、アイツは。」(「太陽を盗んだ男」の沢田研二に対して。)

「『やーめた』と思ってるわけじゃない。半年後にはクランクインだという気持ちは変わらない」

「近しいダチまで映画をやめちゃうくらい、俺の現場は負担をかけてしまう。どうせ人に迷惑かけるんだから、迷惑をかけるだけ価値のある企画をやらないといけない。だから本当に撮りたい映画以外、撮っちゃいけないような気がしてる」

「問題はこれからだな。これから、どうするんだ。昨日までダビングをしていた気分だ」



【総括】
💢バカ野郎!💢
四の五の言わないで、さっさと撮りやがれ!
いつまでも若いと勘違いするな!
何様のつもりだ!
もう、時間がないんだぞ!

★もう、長谷川和彦の話は、金輪際やりません。
お粗末さまでした。m(__)m