倉本聰が好きだ。
誰しもが往々にして、綺麗事だけでは終わらない人生の機微を描いた物語(ドラマ)はもちろんのこと、折に触れて様々な生きるヒントをもらっている。

著作を読んで感銘を受け、当社の理念とした「一寸引き」という言葉もそうだ。

林道に大きな岩が埋まって難儀していた時に、「毎日スコップで掘っていれば一日に3センチ、十日もやれば1メートルは動くんでないかい」と地元の青年に平然と言われ、ただただ感嘆の思いだったそうだ。

「直耕」という言葉も、十数年前に彼の著作で知った。江戸時代の思想家・安藤昌益の言葉で、平たく言えば「人々はすべからく農業に従事すべき」という主旨で、読んだ当時は随分と偏向な考えだなあとも感じた。

二月。ふと「あのときの直耕、やってみるか」と思い立って、懇意にしている北海道の牧場へ向かった。
約一ヶ月間、牛舎でひたすら朝夕の下働きをしながら、色々な体験をさせてもらい、いくつかの命の現場にも立ち会った。

ある日の分娩でのこと。
脚に結んだロープを全力で引っ張り、無事出産したと思いきや…
「やばい!」と農場主の英利さんが声をあげ、突然両脚を持って藁の上を振り回し、顔に水をかけ懸命な処置を始めた。仔牛は息をしていなかった。

「秀彦さん、脚を持って下さい!」と英利さんに言われ二人で逆さ吊りにし、何度も振り続け、無我夢中で「頑張れ、頑張れ」と言っているうちに、ようやくしっかりと息をし始めた。
不覚にも涙が止まらなかった。

仕事を終え宿舎に戻り、ひと息ついてテレビを付けると、ちょうどこんな話題に出くわした。
異例の出世を遂げた人の多くが、少年期に農業との関わりがあったのだそうだ。
なぜかといえば「不平等」や「上手くいかなくて当たり前」といったメンタリティが自然と育つからなのだそう。

いくら丹精しても咲かない花、力を尽くしても繋げない命があることを厳に受け入れながらも、清々しいほど日に新たな、前向きな心で歩んでいく姿----。

時に砂を噛むような「一寸引き」のなかで
----おしなべて仕事とはそうであるように----
日々物語は生まれていくのだな。

そんなことを考えながら
----いつのまにか春霞に煙り始めた東京を眼下に望んで----
北の国からの帰途へとついた。

令和6年4月25日
株式会社開拓使 代表 北澤秀彦