平成11年というから26年も前の不可解過ぎる謎の事件。バイク事故死を装った殺人と思われる証拠が明らかなのに、何故か葬られてしまったのである。

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「女子高生コンクリ事件」や「世田谷一家殺人事件」は今なお、語り継がれる悲惨な事件である。その無残さ、犯人の凶悪さは忘れてはならない、許してはならない。しかし、これが北海道の奥地で発生した出来事ではどうか? マスコミの扱いも小さくて、すぐに人々の記憶からも消えてゆく.......。首都圏の事件とは異なるのである。網走の中学校で数年前に起きた校内レイプ事件。数人の男子生徒が加害者で一人の女子生徒が被害者。これも報道されずに、有耶無耶にされた。その他にも色々とあるみたいだが、ネットの世界にチラホラと漏れ出てくるだけで、主要メディアが報道することはないようだ。

 さて、本事件は週刊誌フライディにも取り上げられた比較的有名な事件。その概要は.......。

 平成11年10月25日、町内の町道脇で木村悟君の遺体が発見された。警察発表では「バイク単独事故による頸椎骨折」が死因であったが、状況から見て素人でも疑問を感じる点ばかりだったということ。

 (長閑な風景ではあるが........)

22日から行方不明となり、心配した母親が級友や高校の担任等あちこちと連絡して探したが、埒が明かない。結局、3日後に道路脇で死体が発見され、しかも死亡時刻が22日であると確定された。死因は「バイクでの単独事故による頸椎骨折」とされたが、22日からその場に死体があれば、とっくに発見されてるはずだが.......。そして、たった今、置かれたかのように綺麗な状態。3日もあれば、キツネやカラスに損壊されていてもおかしくないが、それもなし。全く以って不可解。バイクは死体から5m離れた先の路外斜面に立てかけた状態、仰向けで脚が真っすぐに揃っていて、靴、軍手が散乱、目が開いていて口から血が流れていた。そして、顔の右横にヘルメットが置かれていた。眼鏡は発見されなかった。ところが11月6日には死体のあった足の先30㎝位の所に“折りたたんで”あった.......。どうもおかしい。後から誰かが置いたことは素人が見ても一目瞭然!

 

                   (「死因究明 葬られた真実」 柳原三佳 講談社 より転載)

FRIDAY   2003年8月8日号に4ページにわたって掲載された記事。この写真を覚えている人もいるのではないか?筆者はハッキリと覚えている。顔には修正が入らず、目を見開いたまま何故か呆気らかんとした表情が印象的だった。

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 悟君は同級生からイジメを受けていたようだ。真面目で正義感の強い彼は、不良どものターゲットとされ、様々な嫌がらせや虐待を受けていたという目撃証言がある。学校で、通学バスの中で........。クラスの何人が加担していたのかは不明だが、特に、A、B、C、D、E、Iの6人が中心人物であったらしい。AからEの5人は単なるイニシャルだが、Iのみは本名の頭文字と思われる。伊藤、井上とか井川とか井原とか..........。こいつが悟君を殺害した張本人かもしれない。そして、担任のNが事件隠蔽のためにあらゆる工作を行ったようだ。柳原氏の取材でも、悟君がイジメで苦しんでいたのは真実だったようだ。彼と同じバスで通学していたある後輩は「悟君がバスの中でIに殴る蹴るの暴行を受けたり、途中の停留所で無理やり降ろされているところを何度も目撃した。自分も命の危険を感じて、学校をやめた」という。相当、悪質である。それにしても、バスに居合わせた大人たちは、行為を注意するとかできなかったのだろうか? チンピラとはいえ、16才のガキである。2,3人か4人で抑えることができたはずだが.........。何とも情けない話である。ちなみに、この写真は校舎2階から飛び降りを強要されている様子を写したものである。

 

 この段階で、学校なりが手を打っていれば、悲惨な事件は起きなかったかもしれない.............。

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おそらく、Iが悟君を暴行して死に追いやり、相談を受けたNがIとともに、隠蔽工作を図って事故死に見せかけた、というのが真相だろう。そして虐めに加担していた同級生たちと口裏を合わせ、嘘の証言をさせたのではないか?全く以って陰険である。Nの深夜の不可解な行動........。状況証拠であるが、あまりにも怪しい。人口密度の極めて低い地域ならではの犯罪と言える。

そして、学校、地元警察、地域住民も見て見ぬふりをして闇に葬ったということ。何ともやり切れない思いである。

  結局、司法解剖をせずに、バイクによる事故死と決めつけたことが最後まで響いたのである。法医学の専門医である上野正彦氏による実況見分調書、死体見分調書及び死体外部検査記録などの鑑定結果によれば、「死因は頸椎骨折・頚髄損傷とするよりも、胸腔内臓器損傷による失血死と考えた方が、死体所見に適合するとのことだった。」地元警察の怠慢、無能さが悪質な事件の解明を阻んだのである。

 日本の北の果て、未発覚の事件がまだ眠っているのだろう。被害者の思いはいつ届くのだろうか.......。

 

*本事件もかなり前に時効が成立している。有耶無耶になったまま。限りなく黒に近い人物が今でも、平穏に日常生活を送り、周囲はダンマリを決め込んでいるらしい。

 

引用文献:「死因究明 葬られた真実」柳原三佳 (講談社)

    :  「週刊 FRIDAY  2003年8月8日号」(講談社)