現代では、以前のように友だちと遊ぶとか"つるむ"より一人の時間を大切にする若い人が増えたような気がするし、世の中も気にしなくなったように感じるのは筆者だけだろうか?どうも、友情とか人間関係のうさん臭さ面倒さに嫌気が差してきた来た人が多くなったのだと思う。良き哉wwwwww
最近、と言っても2,3年前になるが、とても面白い本に出合えて、その後も何度かチラチラと読み返している。「友だち幻想 ー 人と人の<つながり>を考える」(菅野仁著、ちくまプリマー新書) 著者の菅野氏は社会学者。2008年3月発行、18年4月にテレビで紹介され、大反響を巻き起こしたという。私自身はその番組を見ておらず、ずっと後になって、Amazonか何かのサイトで見て購入し、一読して真実そのものの内容に深く同感した。素晴らしい本である。
協調性は社会で非常に大切な観念とされて、特に学校教育では重点的に刷り込まれてきたと思う。しかし、協調性や友だち作りとかがあまりにも強調されてきたとずっと、胸の奥で感じてきた。ただ、そんなことを口に出すと、それこそ協調性がないとか身勝手とか非難されそうな時代を私自信、ずっと生きてきた。本書には、そのような学校や世間に蔓延る常識に一石を投ずるような"本音"満載で清々しいくらいである。何故、今までこの手の本が出てこなかったのか?或いは、自分の視界に入らなかっただけで、アンテナを張っていたら見つけていたのかもしれないが.......。ただ、そうだとしてもその数は限られていただろうと想像する。やはり、空気を読んで書けなかったのかもしれない。この本にしても、初版第1刷は2008年3月、第25刷発行は18年4月となっている。テレビで紹介されるまで10年もかかっているのである(?) ジワジワと浸透したということか?忖度されて世に出なかっただけか? 両方かな?
さて、前置きが長くなったので、内容について触れてみます。
主に、高校生辺りの学校生活及びその周辺での友だち付き合いに付随する悩みや問題についてどう考え、対処していくかというのが主なテーマとなっている(と私はそう感じた)。協調性を重視するのは、学校側が管理しやすいという都合の部分もかなりあるみたいだし、良好な人間関係の構築もそれはそれで大切なことではあるが.......でも、しかしということ。
ーー私自身の感覚では、小学生時代は何も考えずとも同級生と自然に親密になれたり(その逆もあるが)、個性が強くなり意見が合わなくなってくるのが中学生時代かと。高校生になるともっとかな?それなのにである。親や周囲の大人たち、教師らの同調圧力は強く、「とにかく協調してみんなと仲良く」「友だちがいないのはアンタに問題があるからだ。アンタが悪い」といった調子。私も小中生の頃は、友人が何人かいて帰宅後も遊んだものだ。しかし、高校生になると友人は皆無。前述のセリフはその頃に浴びせられた御言葉である。大学時代も同じく。私より上の世代は戦後の左翼思想の中で育ったためか、勉強よりスポーツ、クラブ活動を重視していた。クラブも文化部より運動部が上という考え方。勉強に励むのは「ガリ勉で嫌な奴」とか「内気で暗い性格でダメ」とかマイナス評価。協調性とか空気を読めるとかの方が大事という考えや雰囲気が溢れていた。「好きな教科は体育」と言わねばならない同調圧力あとはせいぜい
音楽かwwwwww 皆、「友だちバカ」の大人やマスコミの影響なのである。
私が小中学生の頃、よく家へ遊びに来ていた父の友人は「学校は友だちを作りに行くところで、勉強は二の次だ」との高説を繰り返し強調していたが、母も同調していた。彼らにしてみれば、友人の少ない私などは変人の類だったのだろう。全く、人を何だと思ってるんだ!今の時代から見れば何もおかしくないが、時代の限界というやつだ。
ちなみに、この父の友人、ずっと後になって分かったのだが(うちの両親は知ってたらしいが)、当時は博徒か的屋であったらしくて、確かに人相は悪かった。大きな赤ら顔で脂ぎっテカっており、声も中尾彬のように大きくドスが効いていた。具体的に描写すると、ボルドーマスティフという犬種に似ている........。
ところで、学校で友人が少ない或いはいないからといって、必ずしも協調性や思いやりがない人間でもないのだが.......。私も今は友人は殆どいないが、小学生時代の友人とは疎遠になりつつ、ン十年も繋がっている。まっ、このくらいが心地良いのです。
