以前、通っていた居酒屋で居合わせた客から聞いたのだが、昔、恐らく大正か昭和の初め頃だったと思うが、留萌管内の十線川という川があって、タコ部屋(土工部屋)があったということ。御多分に漏れず、この部屋でも仕事の過酷さから逃亡する人夫が跡を絶たなかったということだった。しかし、逃亡者が出ても、部屋の幹部たちは追跡することもなく、双眼鏡で観察していたらしい。
..................何故か?
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逃亡者たちは、近くに川があると川筋に沿って、山があれば尾根を伝って逃げるのが常道のようだ。この場所では川だったということ。さて、ここの地形的な“特徴”は河畔林が広く、川に辿り着くまでに其処を通過しなければならなかったことだった。具体的な広さは不明であるが.......。恐ろしいことにこの林内に羆が潜んでいて、逃げてきた人夫たちに襲い掛かって食い殺していたのだ!
その客の話では、林のあちこちで悲鳴と薮のざわつきが聞こえ、見えるので、監視人は「あ、あそこだ!」「こっちもだ」という具合に確認できたようだ。複数の熊が潜んでいて、複数の逃亡者に襲い掛かっていたのだ..........。何とも惨い光景である。
ちなみに、留萌管内の地図で確認すると、十二線川や十五線川は見つけることができたが、十線川は記載されていなかった。留萌振興局の担当部署へ問い合わせたところ、やはり地図にはないとのことだった。地図に載らない位のごく小さな川(或いは沢)なのか、そもそも筆者の聞き違いか記憶違いなのか............?
(現在の留萌川本流)
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ところで、何故、その場所に熊が集まっていたのか?昔の北海道奥地とはいえ、そんな密度で生息するものなのか?思いつくのは、そのタコ部屋からは逃亡者が多くて、たまたま、逃亡人夫を捕食した個体が居ついて、常食するようになったという可能性だ。そして、食い残しの死体の匂いに引き寄せられて多数の熊が集まってきたのかもしれない。或いはまた、事故や病気で亡くなった人夫を林内に捨て、その死体を口にして人肉の味を覚えたのかもしれない。悪質な土工部屋では管理人たちのリンチで殺される人夫もいたらしいので、いずれにしろ、死体は頻繁に出ていたことは考えられる。そして重労働で弱っていた人夫は熊から逃げきれなかったであろう。余力があって無事に逃走できた人夫は何人いたであろうか?
その数少ない生存者が当時の様子を口伝えて、噂程度で世間に残ったのかもしれない。その噂も時とともに消えていく.........。
