小学生の頃に聞いていまだに忘れられない強烈な話がある。2年か3年の時だったか?担任の女性教師が授業の合間にふと、漏らした昔の猟奇的事件である。

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 戦前の樺太で、泥酔した或る日本人の男性が自分の腹を切り裂いて内臓を露出させて死亡したという凄惨な事件。

記憶を辿りながら経緯を記してみる。1月か2月の厳寒期の夜に、坂道の下を通りがかった人が地面に座り込んでいる酔っ払いに気付いた。手に何かをぶら提げて目の前に翳すようにしてニヤニヤしながら見入っている。赤黒い肉片のようなもの。よく見ると、腹部は血だらけだった。肉片のようなものは酔っ払いの胃袋だったのだ!状況から察するに、自分で切開して引っ張り出したのだろう。手当して一命は取り留めたという。

 それにしても、痛くないのか?これが先ず疑問である。確かに、寒さとアルコールでかなり鈍感にはなっていただろう。樺太の冬は北海道以上である。さらに、かなりの酒を飲んでいた様子が伺われる。それにしてもである。そして、何故にそんな目も当てられない行為に走ったのか?

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 この凄惨な話、話してくれた教師もまた誰かから伝え聞いたのだろう。それ故、多少の脚色が入っているかもしれないが......。

この男性、以前にも“切腹“したことがあって、この時も屋外であったために、発見されて助かったという。

 最後は、自宅で酔った末に切腹して、発見された時には死亡していたということ。一人暮らしだったのか?はたまた家族がいたが、外出中だったのか? この点については記憶がない。教師が言及したかどうかも定かではない。

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 さて、何故、こんな行為に走るのか、走ったのか?特殊な性癖と言ってしまえばそれまで。真実は本人のみが知るということだろうが、それでは身もふたもないので、想像してみよう。

 樺太は明治38年から昭和20年までは、南樺太が日本領土で北半分はロシア、ソ連領であった。境界線はあったものの、実際には越境したロシア人による悪行がかなりあったようだ。昭和20年8月の終戦時の混乱は一般に認識されている。不可侵条約を一方的に破って攻め込んできて民間人をも大量に虐殺した非道。ただ、これより前からロシア人による被害があったということだ。戦前の満州でも日本人が圧迫されがちであったし、同様のことは樺太でもあったはずだ。特に女性の性被害は水面下でかなりあったのだが、被害者自身が口をつぐんで墓場まで持っていくことが殆どだったようだ。中には被害後に犯人に殺害されたり、被害女性が自殺してしまった例も多々、あったのではないか?"切腹男"も幼少期に身近にそのような例を見聞きし、“悲劇が刷り込まれた”のではないか?全くの想像ではあるが、可能性がないとも言えない。

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 幼少期に強烈な衝撃を受けた場合、それが刷り込まれて、その後の人生を、良いにしろ悪いにしろ、左右されてしまうことがあると言われる。左右されないとしても、それなりの影響は受けるであろう。よく言及されるトラウマという言葉もその類である。

彼の場合もそうだったのか?例えば、1920年(大正9年)の尼港事件の影響もあるかもしれない。これは、アムール川河口部の都市ニコライエフスク(尼港)で赤軍パルチザンが起こした住民虐殺事件である。現地駐留の日本人や住民の白系ロシア人が大量に虐殺された無惨極まりない悲劇。その時の死体の写真等を目にしたことは考えられるのだ。もっとも、悪しき刷り込みを受けた場合、長じてから猟奇殺人を犯す等、加害者になることが殆どのようだ。少なくとも筆者の知る限りでは。15世紀の東欧、今のルーマニア南部にワラキア公国という国があった。領主はヴラド・テェペシュという名の暴君で吸血鬼ドラキュラのモデルになった人物とされる。

この王、気に食わない家臣や貴族がいると、片っ端から処刑したらしい。死体は、城の周囲の柵の先端は尖らせておいて、ここに突き刺しておくのである。つまり「モズのハヤ二エ」の人間版ということ。おそらく、生きたまま突き刺された犠牲者もいたのだろうと思う。鳥肌が立つような残酷さである。勿論、敵の死体や捕虜も突き刺して見せしめにされた。柵には何十体という死体が常に放置され、異臭を放っていたという。何故、このような人物が出来上がったのか?考えられるのは、子供時代の強烈な体験である。幼いころから城の自室の窓から夜な夜な、魔女と疑われた人々の拷問の様子を眺めていたという。時は中世の魔女裁判の最盛期。惨たらしい拷問の場面が善悪の判断の付かない幼少期から刷り込まれて、残酷な行為に親和性を持ったまま成長したということが原因らしい。もっとも全ての人間がこうなるとは言えないが.........。

 余談だが、暴君の最後は、戦の最中に味方の兵士に攻撃されて死を迎えたという。その時、何故か敵方の軍服を着ていたらしい。間違えられたのだ。

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 色々と想像してみたが、もっとも現実的な解答は、この男性が極度のマゾか精神異常者であるということ。自傷行為が行き過ぎて死に至ったということである。