株式市場は大幅下落ですね。
ミニバブルという言葉があるのであれば、この1週間ほどの動きはミニクラッシュとも言えるのではないでしょうか。
今日くらいの下げ幅になると、日経CNBCやWBSはお葬式のような雰囲気になるので、いつも「なんだかなー」と思いながら眺めています。
相場というもの上げる時があれば下げる時もあるというのは、彼らが一番知っているはずなのですが。
「上げ賛成」の文化はそう簡単には変わらないのでしょう。
相場師でもあったヤマタネ創業者の山崎種二氏が、自叙伝にこの風潮を書いています。
もっとも、これは戦前の話なわけで、それが現在にまで至っているのは、いわば兜町のDNAと言える事なのかもしれません。
筆禍事件
二・二六事件でもうけたあと、つい調子に乗って失敗をやらかしてしまった。二・二六事件の直後、夏場のことである。ようやくごたごたもかたづいて、相場も落ちつき、戻ったところだった。
大体、兜町というところは上げ賛成で、人気に走りすぎるきらいがある。額面は五十円だが十三円五十銭払い込みの新東が百五十円前後、払い込みの十倍以上していた。高すぎる。ぜんぜん採算のとれぬ株だ。まったくの人気だけで動いている。私のソロバンからみるといつも危い株だと思っていた。だから何かきっかけがあると暴落してしまう。
ちょうど二・二六事件で自信をもっただけに、自分のところで発行していたレポートに”新東百円詣り”という題をつけて、新東の株価は百円がいいところだ、と書いたのである。そして、同時に自分でも売って出た。これがまた、相場が一たん反騰したあとで、タイミングがよく見事図に当たった。
そこまではよかった。だが、あとがよくない。一ヶ月ほど営業停止になってしまった。今のようにきびしい証券取引法があったわけでもない。相場観について何を言おうと自由な時代である。法にふれることもしてないし、監督官庁からお叱りをうけたのでもなかった。一口で言うと、業界からしめ出しをくったのである。村八分にされたのであった。 (後略)山崎種二「そろばん」より