以前・・似たようなブログを書いたのを思い出しましたが・・
「応援」を電子辞書で調べてみました。
1 力を貸して助けること。また、その助け。「選挙運動の応援に駆けつける」「応援演説」
2 競技・試合などで、声援や拍手を送って選手やチームを励ますこと。「地元チームを応援する」「応援団」
私のお仕事で、
介護を必要とする「身体的障がい」をお持ちの方や、
聴覚障害の方、
視力障害の方、
それそれに障がいをお持ちの方がご相談に来られます。
聴覚障害の方とお話をしたときに、
「手話は僕たちの言語なのに、なぜ?手話歌とかで、
手話じゃない、手話を使うのか?意味が分からない!」って
教えてもらったことがあります。
それは、
生まれながら聴覚障がいがある、その彼の話では、
まず、文法が違うということ。
そして、言語数が限られている中で、
理解し合うので、
健聴者が、普通に音楽の歌詞をそのまま手話にしたって、
イメージが出てこないということ。
私が以前、このことをきっかけに手話通訳ライブを行った時には、
コーダの方と、耳の聞こえないアーティストたちに、
予定の曲の歌詞を、そのままではなく、
聴覚障害者の方々がわかる文法と表現に翻訳して
行いました。
その一部がこちらです。
この手話歌
本当の歌詞はこちらです。
この歌詞からスタートします。
Oh,YAMATO.The Global Harmony
君なしでは、歌えないメロディー
Oh,YAMATO.The Global Harmony
僕たちは奏でられる
互いのHapiness願いながら・・・。
こうやって、本当の歌通りに手話をしても、
全く意味が分からないんです。
手話の画のように、イメージがわいてくるように訳さないと。
つまり、
手話をすれば、聴覚障がい者さんの為になるというわけでは
無いんです。
何事も応援とは、
相手の為になることで、
間違うのが
「おせっかい」
「おせっかい」とは
良かれと思って自分の思いですること。
結果的には、相手が不愉快だったり
逆に迷惑だったりする。
相手の気持ちが求めていないのに
良かれとしてしまう「おせっかい」
本当に相手を想うならば
相手が本当に必要としていることを
必要としていることだけをするのが
「お手伝い」
皆さんも、お子さんや後輩さんたちに
「おせっかい行動」になっていませんか?
以前、目の見えない方が
横断歩道で信号が赤になっているのに横断されているときに
私達夫婦は、
その方に気付かれないように、
車道停止中の車に頭を下げてその方が渡りきるまで
両サイトに並んでサポートをさせていただきました。
そして、
渡りきったのを確認して
黙って、私達夫婦は立ち去りました。
目の見えない方がお一人で行動していると言う事は
一生懸命自分で頑張ろうとなさっているので
サポートしますねとお声をかけるより
その方が持っている障がいの目の見えない部分だけを
サポートすれば良いと考えたからです。
つまり、見守り応援ですね。
同じように、
車いすの方がご自分でできるところは
手を出さずに、
ご自身でできないところを「お手伝い」させていただくことが
大切だと学びました。
健常者の方も、
良かれと思って必要以上に自分がすることが
相手に喜ばれるとは限らないと言うことに
気付かれることも大切ですね。
「応援」は、
その方の励みになるようにすることで、
「おせっかい」は、相手の気持ちを憤慨する恐れありです。
あともう少し・・・って頑張っているところを
見かねて、「手を出したり・・口を出したり・・」
それが、「おせっかい」
応援や見守りは
自分の思いでするのではなく、
相手の思いを尊重して、
出過ぎず・・そして、出遅れせず・・
愛をもって、行動することですね。
励ます意味を間違えると、
「おせっかい」になるのでご注意を!




