大正とうちゃんの妻「勉強」 | 貴照良日

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鑑定歴32年。当初は、熊本中心地のカフェで鑑定。下通り,上通り,新市街に交通センター(現:サクラマチ)のcafeで待ち合わせをして鑑定していた時代。熊本を拠点とし、国内外の方のリモート鑑定も行ってます。鑑定50,000人以上になり、その独自流の統計から「貴照鑑定」を確立

いつも、大正父ちゃんの事を書いておりますが・・・

 

こんなことをこのブログで書いて大丈夫だろうかぁ~~?と

思いながら、書きますね。

 

実は、大正父ちゃんの最後の妻は14人目

時代を感じる写真!(断捨離で、いつか写真も処分しようと思って、

思い出の写真をブログにアップして残そうと思って書いております)

下西さん、笑わんでよ!!(笑)

 

大正父ちゃんが亡くなるときに、

 

「やっと見つけた・・

あいつは本当に、いいやつ(妻)だけど

人が良すぎて心配だから、お前が管理してくれな!」

最期の言葉として残して逝きました。

 

やっと見つけた妻!

 

戸籍の中に、たった1日で離婚したこともある大正父ちゃん。

 

その大正父ちゃんが選んだ妻は

 

昔の人間で、中学校しか行けず

16歳から、長崎の「山中清一郎」さんという、作家さんの女中さんとして

働きに出た人です。

 

なので、私が小学生の時、教科書の漢字がわからず聞くと、

「ちょっと待ってね!」と言って、辞書を出してくるんです。

 

その辞書が「ボロボロ」

母は、「私は戦後だったから、子どもが多くって学校に行かせてもらえなかったのよ。

だから、字を今から覚えてるの!」と

 

小学生の私は、「大人が私と同じレベルで勉強??」って

不思議に思っておりました。

 

字を知らないと言い、私が聞いた字を辞書で引いたあと・・

実は、練習帳に何度も、何度も書いていた母。

 

今でも、実家に帰ると広告の裏紙に勉強してるようです。

 

 

そして、油絵がとっても上手で・・

聞いてみたところ、「山中先生が描いていらっしゃるとことをずっと見てきたからね」と

住み込みで、憧れの画家さんの家に入り、毎日毎日見て・・・

そして、基本を覚えて自身の趣味にしたようです。

 

大正父ちゃんは、本をたくさん読んでおりました。

そして、同じく、母も毎日寝る前に1時間ほど読書をしていた姿を

ハッキリと覚えております。

 

何事も勉強。

大正父ちゃんも、その妻も、

「勉強したくたって、勉強が出来る環境じゃなかった」と口をそろえて

申しておりました。

 

「学校に行く事だけが勉強ではない!」

大正父ちゃんの口癖でした。

 

「要は自分」

 

勉強は人に言われてするのではなく、

自分で疑問に思って、調べる。

 

我が家では、通常テレビは「NHK」か「洋画」しか

見せてもらえなかったんです。

 

ドリフターズや音楽番組は、一切NG

 

けど、父がお風呂だったり、いない時間を狙って

テレビを見てましたけどね(笑)

 

なので、

 

母も、私も日常が勉強だったような気がします。

 

夏休み

 

「勉強しなさい!」としかるよりも

 

「勉強したくなるように興味を持たせる」

そんなお母さんになって下さいね。

 

喉は乾かないと水はいらない。

乾けば、水を飲みたくなる。

 

この原理ですよね!