四十九日をむかえ・・・その意味 | 貴照良日

貴照良日

鑑定歴32年。当初は、熊本中心地のカフェで鑑定。下通り,上通り,新市街に交通センター(現:サクラマチ)のcafeで待ち合わせをして鑑定していた時代。熊本を拠点とし、国内外の方のリモート鑑定も行ってます。鑑定50,000人以上になり、その独自流の統計から「貴照鑑定」を確立

つい先日、朝早くから

お坊さんにお越しいただきまして

友人の四十九日をおえました。

 

この亡くなった彼女は

数年前にご両親を亡くし

 

妹と二人生活が始まりました。

 

彼女は心優しい、人の事を絶対悪く言わない

女性ですが・・

 

人に何かをお願いするときに

命令的な口調になることがしばし・・ありまして、

 

普段の彼女を見る限り、そんな強い性格ではないのに・・と

彼女と、「口調」について話したことがあったんです。

 

それは・・・

 

ご両親がお亡くなりになって、

そのあと、妹さんと二人生活が始まり・・

 

その妹さんに、「ダメよ」と言ってもわからず

お姉ちゃんとして一生懸命、妹さんを教育として指導しているけど

言う事をきかず・・・最近では、ののしる言葉が日常茶飯事で・・と。(>_<)

 

どんな妹さんなの?と知り合ってからその時まで知らなかったのですが

 

妹さんは知的障害であることを初めて話してくれました。

私の伯母と同じ知的障害(発達障がい)なので、なるほどと納得した私。

 

このことで、感じたことは・・・

 

いつも、思ったことを言わずに

反論もせず、愚痴も言わず、

だまって、何かを一生懸命する友人の姿。

 

その理由は

幼い時から、知的障害の妹のことで

ご両親が大変そうだから

良い子でいないといけない・・と思う毎日だったからなのだと。

 

日常生活では、親御さんは「妹さんで時間がとられてしまう」ので

「さっさと事を済ませ・・あとはお願いね!」と、

いつもお母様がある程度進めて、最後の頼まれたことだけを

すると言う習慣が身についてしまったと思うと話してくれたこともありました。

 

大人になって、

何を、どうやって進めて良いか?

全くわからない50歳過ぎた自分が情けないとも話してくれました。

 

将来はお姉ちゃんがしっかり妹をみてねと

強く言われなくても、生活の節々に・・感じることが多かったと話されました。

 

彼女が亡くなる前に・・

私が『知的障害の子どもたちの食堂』をしていることで、

語ってくれたことがあるんです。

 

『もっと、幼い時から

姉として、妹とできるだけ外にでての行動や人前に出ての妹と

接する経験をしておけば良かったと・・・』

 

そうと思います。

人前で、変な顔をされたり・・うるさいと文句を言われたり・・

いろいろあることを、自分で対応していく力と心の余裕は、

経験値からだと思います。

 

彼女の場合、両親が急に亡くなり

突然、独身でいた自分にすべての手続きや管理を

置いて行かれた状態で、

将来が考えられなくなったと言っておりました。

 

また、癌で闘病中は

親せきには出来るだけ迷惑をかけたくないから・・

連絡を入れないで欲しいとも頼まれました。

 

 

基本、お母さまが妹さんの学校や外での行動で管理をし

姉として、後方でついて行き母親に頼まれたことを手伝うと言う環境だったと。

 

今回、自分が癌になり・・

抗がん剤治療が始まり・・

妹さんを施設に預けるしかなくなったのですが、

 

施設に入れることを彼女は最初、悩んでいました。

 

「両親に申し訳ない・・

ちゃんと妹のお世話をしてねと言われていたのに

自分がこうなっちゃって・・・」とつぶやいていた彼女の顔が悲しそうでした。

 

 

亡くなる前に、誰にも言ったことがないけど・・

実は・・

 

毎日一緒だから・・ののしるだけでなく、

手もでてしまったことが何度もあったそうです。

 

そんな自分が嫌になることが、毎回だったと語ってくれました。

 

癌で闘病中・・

 

話すことは、

妹さんの事と・・・

親せきの伯母様たちに迷惑をかけてしまって・・

申し訳ない・・

申し訳ない・・・と

 

そんな話ばかりでした。

 

昔の想い出話よりも、

知的障害の妹の管理が出来ず、

親の期待どおり、妹のことが出来ず、

 

早く癌を治して、妹をみていかなくっちゃと

話しているうちに

 

終末期になり、

ホスピスで・・過ごして、

脳の方に異変が起きて・・

幻覚症状がでたとき・・・

 

私が目にしたのは・・

 

「貴照さん、妹がいないんです・・」

「ここは、病院よ?」

 

「はぁ?、いや・・妹が眠いって言ってたので

早く家に連れてかえらなくっちゃいけないので・・」

 

と言いながら、トイレの中や

廊下や洗濯ルームなど、探しまわていたので

一緒にその動きに併せて語って・・・

 

「妹さん、眠いからって言ってたから、先に・・

家に送ってもう・・寝てもらってるらしいから大丈夫みたいよ」

 

その幻覚の状況に併せて話しました。

 

「そうですか・・ありがとうございます」

「じゃ、私も早く帰らなくてはいけないので、なんだか・・車で

遠いところへ連れて来れられているようなので・・どうやって帰ったら

良いのだろう??」

 

「急いで帰らないと妹は困っていると思うので

それではみなさん・・さようなら・・・さようなら・・」

 

誰もいない、自分の病室で、目の前に

他人様たちがいるようなしぐさで・・・・・

 

最後は、ドクターにより、眠るために処置をしてもらい

寝てもらったのですが・・・

 

幻覚症状で

 

ずっと妹さんの事を語っていたんです。

 

普段は、妹さんの事を多く語らないのに・・

このような状態でずっと妹さんの事ばかり・・・

 

知的障害の子どもたちに対しては、

いろいろ未来に向けて、教育や環境があるのですが、

 

その兄弟たちの心や対応や

生き方を、語ったり・・

心構えも、我慢してではなく・・

 

心を育てて・・

堂々とできる姿を・・

 

私は、いまの「ひまわり食堂」でしていきたいと思っております。

 

私の本業は、人に言えないことの相談を受けることです。

この仕事を30年近くしてきて・・

 

35歳・・40歳・・過ぎた

知的障害の兄弟姉妹たちが・・

親の方が大変だから自分の本当の思いを言えないできたと言う

心の声を・・

涙流して相談に来られる・・

 

その兄弟姉妹たちの思いを

解決していかなければと思うように

ここ10年間、悩んできました。

 

意味のある「ひまわり食堂」を宜しくお願いします。

ひまわり食堂は、知的障害の自立支援を兄弟姉妹たちで

管理していく。

つまり、一般の方へご迷惑や不安を与えたときに

親たちが謝ったり説明するのではなく、

近い将来は自分たちが、親がしているようにしなければならない。

 

学校を卒業して、就職してしまうと

その時間が無くなり、結果親たちが主になってしまう。

 

また、その兄弟姉妹たちも子どもとして生まれてきたのだから

知的障害の子どもたちの管理を

お休みの日に、しているのだから、

その子どもたちにも、お給料を渡したいんです。

 

また、その子供たちのお友達だちが

協力してお手伝いしてくれるのなら、

お給料を渡したいのです。

 

いつか・・

 

血のつながりが無くても・・

助け合う心で、親が心配していることを

仲間でしていけば良いと思います。

 

今回の私の友人は

私とは全く血もつながっておりません。

けど、

彼女の友人が、何もしてあげれない・・と

悩んでいたので、出来る私が手を差し伸べただけです。

亡くなった友人とは、私の友人の友人です。

 

 

四十九日、毎日・・私のお店の二階で

御線香をあげました。

そこに、集まるみんなも

毎日、御線香をあげました。

 

四十九日は、友人たちで

小さなお仏壇ですが、そこに集まり

心からご供養をさせていただきました。

 

この関係は、

日々の関係だと思います。

 

親御さんが作ってあげれない

子どもたちが作る環境だと思います。

 

知的障害の子どもだけでなく

兄弟姉妹が沢山のところの

長男、長女さんへの負担も同じことと思います。

 

日本全国で自殺が一番多い兄弟は

 

長男、長女 が圧倒的です。

 

長男、長女、

その軸となる柱には

経験と行動力を身に着けさせなくてはなりません。

 

我慢の前に・・・

配りたくなるくらいの感謝を感じる環境

 

ライフコーチネーター:貴照

 

ひまわり食堂とは、

個人の活動ですので、福祉団体でもありません。

貴照個人が思うことを、賛同してくださるかただけで行っている活動です。

このブログ、特に宣伝せず・・

賛同くださる方が、読まれて下さい。

営利目的でもなく、自分の思いを形にしているだけですので・・

公けの活動ではなく、個人の・・あくまでも私の思いだけでしていることですので

賛同できないのも、意見を持たれるのも全て自由と思います。

自由にみなさんも思われて、自由にご活動ください。

よって、このひまわり食堂も自由にさせてくださいませ。

アドバイスには、耳を傾けます。

himawari@hand-in-hand-k.com