昨年の今日・・しばちゃんのメッセージ! | 貴照良日 「貴照(きしょう)」のブログ

貴照良日 「貴照(きしょう)」のブログ

コーチング歴34年。当初は、熊本中心地のカフェで鑑定。下通り,上通り,新市街に交通センター(現:サクラマチ)のcafeで待ち合わせをしていた時代。熊本を拠点とし、国内外の方のリモートも行ってます。鑑定50,000人以上になり、その独自流の統計から「貴照鑑定」を確立

ちょうど昨年の本日でした!

助け合いジャパンさんの動画です。

しばちゃんの当時のインタビューです。

「原発事故後どうやって生きていったらよいか不安だった。」と語る浪江町から避難の柴­田さん夫妻。

柴田さん家族は、3月15日午前まで浪江町に放射能が来ていることを知らなかった。普­通に外を歩いていた。昼になって、ここも危ないのではないかと言われ着の身着のまま避­難を始めた。浪江町赤宇木(あこうぎ)から栃木県、二本松市のホテルそして二本松市郭­内の仮設住宅に避難を続けてきた。

避難した先で知り合いになっても転居を余儀なくされる。先行きが見えない中、精神的に­落ち込んでしまい引きこもりになってしまった。

約1ヶ月間引きこもりの生活が続いた。それから、柴田さんは少しずつ回復し、仮設住宅­の住民も情報収集するため集会所にパソコンが必要であると考えた。そこでインターネッ­ト上の支援サイトからパソコンを支援してくれる団体を探して、いち早く入れてもらった­。その後浪江町の全仮設にパソコンの支援が広まったとのことだ。
また、個人的に支援サイトを探して、支援物資を送ってもらい、郭内の仮設住宅に住んで­いる人たちに分けて配っているという。

「原発事故から1年以上たっているので、支援物資が欲しいとは自分から言えない人が多­い。東北人だからかなあ。」
と柴田さん夫妻が言っていた。
仮設住宅によって必要なものは違うと思うが、郭内仮設住宅ではトイレットペーパーなど­の消耗品や食料の要望が強い。

現在仮設住宅に住んでいる方の中でもなかなか他の方と交流することが難しい人たちもま­だまだいるし、原発事故によって人の心も変わってしまった。

私も少ないながらいくつかの仮設住宅におじゃまさせていただいたが、それぞれに状況が­違いニーズも違う。今後も様々な仮設住宅や借上住宅に住んでいる人たちとお話をして、­みなさんの言葉を少しでも多く伝えていきたいと思った。