区域再編~帰還困難区域「浪江町」 | 貴照良日 「貴照(きしょう)」のブログ

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コーチング歴34年。当初は、熊本中心地のカフェで鑑定。下通り,上通り,新市街に交通センター(現:サクラマチ)のcafeで待ち合わせをしていた時代。熊本を拠点とし、国内外の方のリモートも行ってます。鑑定50,000人以上になり、その独自流の統計から「貴照鑑定」を確立

先日、浪江町の今や今までをまとめようと思っていたのですが、
どうしても、目の前の仕事に追われ・・
私の仲間の真由美さんにお手伝いいただけないかと
お願いしました。

真由美さんは、文章もお上手ですし・・・なんていったって、
しばちゃんと仲間たちさんのところへ行ったり、しばちゃんと直接交流している
方なので、私にしては珍しくもお願いしてしまいました。

ちょっと文章は長いですが、詳しく書いてくださっているので
そのまま真由美さんのブログをシェアしますね。

 

区域再編~帰還困難区域

現在、浪江町は帰還困難区域への立ち入りを防ぐバリケード設置の作業が進み、
明後日4月1日午前0時に施錠されます。
設置箇所は73カ所に上るそうです。

帰還困難区域とは
居住制限区域の一部地域で、放射性物質による汚染レベルが極めて高く、
住民の帰還が長期間困難であると予想される区域。
具体的には、5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを
下回らないおそれがあり、年間積算線量が50ミリシーベルト超の地域のことです。


あの恐ろしい震災から2年が過ぎました。
3月11日前後は震災の特番がたくさん報道されていましたが、
その後、日に日に報道が減りましたね。

区域再編が施行され、帰還どころかバリゲートが張られてしまい、
浪江町の皆さまや帰還困難区域と再編された皆さまはどんなお気持ちで、
この日を迎えられることでしょうか。
何とお声を掛けたら良いのでしょうか。

ブログをご覧になってくださいます皆さまへ
どうか今一度耳を傾けていただきたいと思います。

本日は、この帰還困難区域再編に至るまでの
浪江町の方とのお話について書かせていただきたいと思います。



昨年、2012年10月23日に浪江町の線量による区域再編について
町民に説明される集会がありました。

その朝、浪江町の方から
「私の家は、99.9パーセント帰還困難でしょうね・・・」
とのご連絡がありました。

そして
「私の母がつぶやきます。
 生きている内には帰られないのかと・・・
 私は俺も生きているうちには帰れないんだと話していますよ。
 ちゃんと本当のことを言わないと、
 これから発表される避難区域の再編で帰還困難区域と発表された時に
 落胆するので今から説明しています。」
と・・・。


説明会には、政府の方がたくさん来ていたそうですが
「これから除染をする」と言うだけで
質疑応答でみなさんが質問を投げかけても
「まだ何も決まっておりません」「検討する」
としか答えられず、時間が来たら終わってしまったそうです。

説明会で皆さんに見せた分布図は、
上空から飛行機で計った線量で図面を作った線量の分布図だったそうです。

そのため、とても線量が低く出されていて、
その分布図で
「あなたたちの家の周辺はこれしか線量はありません」
との説明だったとのこと。

「人間が上空を歩いたり、上空の空気を吸うわけが無いのに、
 そんな高い処の線量で区域分けするのは、おかしい」

と罵声が飛んでいたそうですが、聞く耳持たずの状態だったそうです。

そして、区域再編については
少し線量が低いと解除準備になり、その線引きは「字」単位とのことでした。

「字」単位とは
「帰還困難区域」の3区域に再編する際には、市町村内の区画である「字」を基本とする。
線量の高低は複雑に入り組んで広がっているため、
「大字」や行政区単位では対応できないと判断したとありました。



浪江町の津島地区では、既にスーパーゼネコンに6億円も支払い、
除染の実験をしたそうです。
しかし、直ぐに線量が戻っている状態と・・・

除染実験後に学者が津島地区に入り、線量を計ったところ、
放射線量が戻っている現状を確認し、
その動画がYouTubeで流れていたそうです。

その現実を投げかけたところ、政府の方々は口ごもり、黙っていたそうです。

そして、政府の方々へ
「浪江町のように高線量の所はいつ除染出来るか分からない」
と言ったところ、
「実験的にやる」と言われたそうです。

原発の建屋は屋根が吹き飛んだまま、ブルーシートで隠している状況で、
現在も大変放射能が出ている現状であるにも関わらず、
除染を行って意味があるのか、疑問ばかりが残ります。

あるご高齢の方が、2011の11月に紛争解決センターに
書類を出して交渉を依頼したそうですが、
未だに何の音沙汰も無い状態だといっていたそうです。

このように国は東電を支援していていても、
支払いの指導はしていないことが、はっきり分かったと仰っていました。

納得できなければ訴訟をしてくださいと言われるそうです。


補償について伺いました。

帰還困難区域となって補償が何か変わるのですか?

区域再編で帰還困難となっても補償は同じですよ。
何にも変わりませんね・・・
東電は、逆に支払を渋りだしていますよ。
前回は支払ったのに、次は支払は出来ません
という回答が増えている状況にあります。


とのお返事でした。

大企業に大金は支払っても、避難された方々には出し渋っている現状。
言葉を失うことばかりです。

そして政府の方に
「20年、30年帰れなかったら、そこは子どもたちの故郷にはならない」
と言ったところ、黙ったまま、やはり返答はなかったそうです。

「そんな危険な所に子どもや孫を連れて帰れませんよね。
私達は実験材料では無いんです。
早く補償をしてください。
そうすれば福島から出て行けるんです」


と仰ったそうですが、
その説明会では何ら回答を得ることも出来ず、
意味のない説明会で終わられた状態だったそうです。

みなさんが
「もう嫌だ」「どうしたら良いか分からない」
と言っていると仰っていました。




昨年、11月に浪江町の方がご自宅へ一時帰宅をされた時の
最高線量は、23マイクロシーベルトもあり、
20分~40分位の滞在時間で、
積算線量は7マイクロシーベルト
も浴びてしまったそうです。

道中、検問が行われていて、通行許可書がないと
自由に出入りは出来ないと伺いました。

「こわいですよね。」

「本当に勇気が無いと行けないところになってしまいましたね、
我が家なんですがね・・・これが現実ですね。」

「家の周辺は、草が生い茂り、軽乗用車でもガリガリと
草や木がこすれながら走る状態ですよ。まるでジャングルです。悲しいです。」

「妻に草を刈りたいねと言いましたが、線量が高いので反対されました。
手入れをしていた植木も伸び放題の物と枯れてしまった物があり、
がっかりして来ました。」

「もう我が家には、しばらくは行かないでしょうね、
行くと余計に落ち込んでしまうのでね・・・・・」

「間もなく、浪江町は政府の避難区域再編を受け入れると発表しましたので、
バリケードの向こうになる事でしょうね。悲しさと悔しさが胸に溢れてきます」


と悲しい言葉がたくさん綴られていました。




そして、2012年12月25日 帰還困難区域再編の説明会がありました。
説明会では、「帰還困難区域です」と言うだけで
何にも決まっておらず、ただ文章を読み上げているだけの
説明会だったそうです。

この時も質疑応答で質問されたそうですが、
返ってくるのは、
「検討します」
の言葉だけだったそうです。

その時にはっきりしていたことは、

「故郷に帰れないこと」

だけだったと・・・


説明会で「今の状態でどの位で帰れるのか」と聞いたところ、
政府からの返答は

「100年以上」

と平然と答えられたそうです。

お話を伺った私も愕然としました。

「私たちの気持ち、苦しみは、他人事なんですよね・・・・」と
悲しみがとても伝わってきました。

そして
「本当は二本松も避難しなければならない線量なんだそうですよ。
子どもの将来が凄く心配になってきました。」

と痛切な思いを仰っていました。


浪江町の皆さまは、年の瀬にこの現実を聞かされ、
2013年のこの年を迎えられていたのです。




年明けにご連絡をいただいた時にはかなりお力を落とされている状態でした。

「帰還困難区域となり今は、何もしたくない状況にありますね。
私だけでなくみんなそうですね・・・」

「希望がなくなってしまい、チーム郭内メンバーも落ち込んでいて
今は、静かになっています。」

「縫い物も止まってしまい、始めようと話はしているんですが、
体が動き出しません・・・」


と皆さまはどんなお気持ちで新年を迎えられ、
過ごされていらっしゃったかと思うと、
気のきいた言葉1つも浮かびませんでした。




昨年の今日、3月30日に浪江町の方と初めてお逢いし、
本日でちょうど一年が経ちました。

お逢いしたあとから、
「一日も早く故郷へ帰れることを心より祈っています」と
いつもお伝えしておりましたが、

今、私がお掛け出来る言葉は、
「一日も早く安心して生活が出来る日が来ますことを
心より祈っています」
という言葉に変わってしまいました。

震災から2年が経過し、良くなるどころか、
バリゲードが作られ、立入禁止区域となってしまった現実に
私自身もお話を伺った時にどのようなお言葉を掛けたら良いかと
ずっと考えました。

皆さんはどれだけ悔しく、悲しい思いをされていることか、
計りしれない苦しみの中で戦っていらっしゃいます。

事故当時、回覧版だけで着の身、着のままで避難され、
最初は数日で帰れると思われていたそうです。

私も事故処理が終われば皆さん帰還出来るのだと思っていましたが、
こんなにも、この目に見えない放射能というものが、
恐ろしいものとは思いもしませんでした。

一瞬にして全てを失ってしまったたくさんの皆さまがいること、
そして、これから起こりうる健康被害に怯えている方々が、
この日本に、身近に、たくさんいらっしゃる現実に
もっと目を向けていかなくてはいけないと切に思います。

福島は何も終わっていないのです。
そして何も始まってもいないのです。

先日、3月24日に浪江町の方が原発デモに参加するために
朝6時に出てバスに乗り、福島から日比谷公会堂に来られました。

その日は私の予定が付かず、皆さまにお逢いすることが
出来ず、とても残念でした。
ご連絡したところ
「人が集まらず、風化されてきたことを実感しましたよ」
と仰っていました。

被災地の方に風化を感じさせてはいけないと考えさせられました。
そして「風化」という言葉で済ませてはいけないと思います。

大変長くなりましたが、最後までお読みくださった皆さま、
ありがとうございました。

至らない文章ではありますが、悲しみの中にいる方々が
たくさんいらっしゃる現実を少しでもお伝え出来たらと思い
書かせていただきました。
どうか心を寄せていただければ幸いです。

浪江町のみなさま、
みなさまに光が見える日が一日も早く来ますよう心より願います。
そして、みなさまにお逢い出来ましたことを心より感謝致します。

真由美

以上・・しばちゃんから私もメールをいただいていたのですが、
ここまで上手に纏めれないので・・今後も真由美さんに記事にしていただくことに
なりました。真由美さんのブログはこちらです。お茶づけ生活

真由美さん・・早速ありがとう!!