「孤独」って我慢から怒りの通り道 | 貴照良日

貴照良日

鑑定歴32年。当初は、熊本中心地のカフェで鑑定。下通り,上通り,新市街に交通センター(現:サクラマチ)のcafeで待ち合わせをして鑑定していた時代。熊本を拠点とし、国内外の方のリモート鑑定も行ってます。鑑定50,000人以上になり、その独自流の統計から「貴照鑑定」を確立

新年早々・・・
こんな悲しい言葉をタイトルに書く・・・

いや・・・

新年だからこそ
今年はこの「孤独」と言う言葉を

皆さんの心から取り除きたいと・・・思いました。


私の仕事は、心の相談が1番。
それにともなった・・現実的な仕事や経営や人間関係の相談。

ここ近年は、生活苦かと思うと・・・
それ以上に不景気とは言っても生活は何とかなっているようで

先日から書いている「セックスレス」もそうですが、
その奥にある叫びは「孤独」かと思いますね。

私は、中学生の時、
将来は、少年院や非行に走ってしまった少年少女の相談役をしたいと考えていました。

今思うと・・・それは中学生の自分に、いてほしい大人を想像していたのかもしれません。

私自身が・・・「孤独」とやらの言葉のど真ん中にいたのかと
思います。

「孤独」の始まりは・・・我慢から。
嫌われたくないから・・・大好きだから・・・必要だから・・・

こんな思いで最初は相手の言いなりになったり、
本当は言い返したいけど、
我慢して、自分の本当の気持ちが出せず相手に合わせてしまう自分。

この相手に合わせている時間が長ければ・・・長いほど
相手の心と自分の心の距離が出てきて・・・

ふと気付いた時には、
その距離が遠すぎて・・・今さらどうやって近づいていけば良いか?

わからなくなっちゃいます。
この瞬間から・・・「孤独」が始まるような気がします。


私の場合、中学生の時・・・本当の親じゃないから、
わがままを言ってはいけない。

良い子でいなければ、この家を出されてしまうのではないか?
こんな心配ばっかりしていて・・・

自分が自分らしくできない中学生時代でした。
たとえ、血がつながっていなくても、親として両親が揃ってくれていたことには
とても感謝です。

しかし、その感謝とは裏腹に・・・
実の親だったら・・・わがままが言えるのかな?
実の親だったら言いたいこと、言えるのかな?

そんなことを思春期の中学1年生のころの私は考えていました・・・
すっごく「孤独」で・・・

学校から帰ってくると、わざと13歳だと言うのにスーツに着替えて
街を歩く。

大人になりきって・・・人に声をかけてもらいたいから・・・。
それも、むなしく・・・気付いた時には良い子でいることも・・・笑うことも・・・
忘れてしまった、自分でした。

あのまま、私の中学時代「孤独」たったとしたら・・・
今の私は無いような気がします。

中学1年生の時の担任の小澤先生。

この先生が「おーちゃん(私)、おーちゃんは先生の生徒の中で
1番優しい生徒、1番愛らしい生徒、1番笑顔の素敵な生徒、
いつだって先生は、おーちゃんのことをみてるから、勇気を持って
自分をだしてごらんなさい。!!大丈夫だから・・・」

この日から、もう30年を超えて40年近くになります。
今も年賀状でつながっていることに感謝。

その時に、小澤先生が「本当の親を今探さなくっても・・・
今の家にいる親も親なんだよ。口は利かなくっても、一緒に暮らしていることが
家族なんだよ。いつか、必要であれば実の親と会う日もくるから、
今は、しっかり口は利かなくてもいいから・・・良い子でいなくていいから
普通にしてごらん、おーちゃんが普通になれば、今の親は親なんだと気づくから」

普通にいる・・・

これは、向き合っている愛のある家族の絆を知っている人だけが使える言葉なんだな!っと
後々わかりました。

私は幸いに、愛のある小澤先生に出会えて、先生から愛ある言葉をいただいて、
3学期の成績表にもさっきの1番・・・と言う言葉を5項目書いてあって・・・

先生は、私をいつもみてくださってる!っとわかった時から
心が穏やかになって、人を許せるようになって、人を見ることができるようになりました。
(今でも、年賀状にはおーちゃん、がんばってるね!って書いてくださる小澤先生)

人は、誰かに愛されたい・・・
愛のある言葉を言ってもらいたい・・・

愛する子供、
愛する親、
愛する兄弟、
愛する恋人、
愛する妻、
愛する夫、
愛する彼、
愛する彼女、
愛する生き物。

愛している人に、愛してもらいたい。

特に子供は、生まれてきたときに最初に出会うのが
両親。

パパとママが愛し合って、誕生したのだから
愛の証で愛されると信じて子供は生まれてくるのでしょう。

その時の、生まれてきてくれて「ありがとう」と思う気持ちを
忘れずに、いつまでも愛を持って子供を見てほしいです。

しかし、最近はちょっと悪いことをして学校に呼び出されると、
「お父さんの立場を考えなさい」と子供をしかり、
「こんなことで呼び出される時間が迷惑!!」と子供の心配よりも
仕事の心配

大人の社会でも、
夫婦になるって奇跡かも?誰もが結婚できていない現実。
その中で一緒になってくれる人と出会えたのだから
一緒になってくれて「ありがとう」と思う気持ちを
忘れずに、いつまでも愛を持って夫婦でいてほしいです。

しかし、こんな環境の中で、子供と一緒で「我慢」が続くと・・・
「孤独」になってパートナーに相談したくても・・・
「仕事で忙しいから・・・」「仕事で頭がいっぱいなんだよ」と
時間の心配

現在、経済状況がわるいので、仕事を1番に考えてしまう時代。

だけど、いつの時代も愛するひとがいると
愛する人のために、時間ってなんとか作るものなんですよね。

忙しさ・追われる環境が・・・愛を邪魔して・・・我慢して・・・孤独に。
孤独が・・・限界で・・・怒りに変わって・・・反抗的に。

反抗的になるとさらに時間が足りなくなって・・・
寂しさとの戦いから、何かに当たらなくてはいられなくなる。

幼児虐待もパートナーから愛されていば、無くなるのではないでしょうか?
DVも本当は寂しくって愛を求めても・・・
心の隙間が温かさでうまらないところか始まるのではないでしょうか?

人は、そんな簡単に犯罪や残虐はできないのではないでしょうか?

誰かが、その人の孤独に気づいて愛のことばをかけてあげれば・・・

生き続ける気持ち、いたわる気持ちになれるのではないでしょうか?

そんな思いから、相談を受ける仕事を選び、
皆さんの孤独を、過去の自分の孤独時代の記憶と重ねて・・・
自分がしてほしかったことを自分の過去の自分のためにして、

自分を納得させて、愛を過去の記憶に送って・・・愛に満ちた自分に
なりたいと日々思っております。

家族が、反抗的だったり、問題を起こしてばっかりだとしたら
その方は、寂しいのかもしれません。愛を持って時間をかけて愛してあげて
下さい。

我が家も子供が反抗的なときは、私も「あっ!最近話し合ってないな~」って感じていました。
私が、夫に反抗的な時は、私が寂しさを我慢しているときで、「なんで私をみてくれないの~~?」
って思っているときであることにも気づきます。

私は小澤先生からの言葉をいただいて、今、そのときに距離を感じていた親に対して
普通に接することができるようになりました。

普通になれた・・・愛があるから。

皆さんがご相談にきてくださり・・・「やっぱり来て良かった!」って初めての方でも
言っていただいた時
自分が必要とされている想いが伝わって来るときに、
とっても私自身が幸せを感じ、家族のような気がしてきて本当に愛を持って答えたくなる。

無宗教の私ですが、キリストのように・・・

「神は愛である」

この意味がわかってきたような気がします。
愛されているから、私は生きているのでしょう・・・・・・・・・。


誰を・・・何を・・・あなたは愛しますか?