運命の規律を守らなければいけないのは案外運命自身であり、結局自分自身に縛られる自縄自縛でしかない。
はてさて、まあそんな愚かな運命はともかくとして、今回は運命に縛られない転機の話になる。
彼は従えにくい性格をしている。何せひねくれものなのだ。
特に、同類のように見える原因とはとても仲が悪い。
原因は、結果を司る運命に運命を感じているのだが、その運命の手を煩わせる彼は、見事に原因の目の敵になってしまっているのだった。
——閑話休題、話が逸れてきた。言いたいことが言えなくなりそうである。
そんな転機が、通例として相方を下界で見つける話が今回の話である。
その相方は、ただでさえおかしな性質をしている転機よりも、大変不思議な質をしているのだが、それはすぐにでも書き付けられよう。
それでは、前置きはこのぐらいにして、本題に入ることとしよう————
晴れやかな天気である。しかし今は夕方だった。
点き始めた街灯に、鳥が一
匹留まって、悲しそうにさえずっていた。
さて、その様子をぼんやりと眺めていた彼は、冷え始めた空気に身を少し縮める。
すっかり暑さが大人しくなったこの頃は、夜冷えがするのだった。
(上着ぐらい用意してくれたって良いのに。いや、むしろなんで寒さを感じる機能があるの?明らかに無駄じゃないのかな)
それを考え出せば、何もかもおかしくなってしまう。
自分に情緒があるのもおかしいし、性格があるのもおかしい。呼び合う名前だって、最初から全部、無駄無く用意されていたのなら必要ない。
痛み苦しみは当たり前だが要らない。捨てれるものなら捨ててしまいたい。
(でもそれだと僕は、きっとあの人を慕うことも無かったんだろうな…)
彼の心の中には常にある人物の存在があった。
人物、とするか否かは微妙なところなのだが、我々の感覚からすれば人物とした方が理解に易い。
彼がその人物に向ける感情のようなものは、我々における恋心に似ている。
いつでも一緒に居
たい。いつでも味方で居たい。いつでも助けになりたい。
その人物によって、不思議とそんな欲求が発生するのだった。
しかし、我々から見て一つ問題に見えることがある。
いや、これを問題にしてしまうと色々と差し障りがありそうなので、多数派、マジョリティーとして話をする。
彼は、我々の感覚で分類してやると、見た目も人格も、男である。
対して、彼の想い人も分類すると、実はこの人物も男である。
彼のそもそもの生い立ちというか、発生から考えれば、それは大した問題ではないはずなのだが、我々からすれば触りづらいことである。
ともかく、彼は定期的に意識の上に想い人の姿を浮かべては、自分との境目を確かめていた。
境目こそが彼の精神の働きの動力であり、境目があるからこそ転機は起こせるのだった。
(今日もつまらない日だったなぁ)
紅く染まりだした空を見ては、彼は溜め息を吐く。
様々な事を一挙に思い出しそうになる意識を少し抑えようとして、彼は歩き
始めた。
一つの事を考えることに特化したその意識は、二つの大まかな動作を受け入れることは出来なかった。
彼の足取りは確かだったが、前方を認識する能が足りていなかったのだろう。
つまり、前方不注意である。
「わぁっ!」
彼はわざとらしく声を上げて、わざとらしく転んだ。
彼がそうするに至った相手は、目をキョロキョロとさせて、小さな彼を見た。
「おや、これは失敬。大丈夫ですか?」
やや身を屈めてその相手は彼を気遣う。
しかしながら、彼は相手を見るなり目の色を変えた。
「…ひっどい」
「はい?」
「この僕にぶつかってさ、なんか言うことないワケ?」
「はあ」
「速攻で謝れよ!」
彼が声を張り上げて威圧した。その声は、全く声変わりのしていない男児そのものだった。
「…癪に障る最高のお子様ですねぇ!」
刹那、その男の目が光る。
「違うっての!こっちは謝れって……あ?」
「
それならばお返しをしなければいけませんねぇ…!」
彼はあまりに一瞬の事で何が起きたのか分からず、話すことを一度止めてしまったのだが、目の前にいたはずの男が、自分の目の前にはいなくなる。
次に、自分のすぐ背後からその男の声がしたものだから、彼は恐る恐る振り向くと——
「僕整体の本読んだことあるんですよねぇ」
「ぎゃあ!」
男がいた。
彼は既に羽交い締めにされては、謎の整体を施される。
当然、物凄く痛いらしい。
彼は自分の身体からベキベキと絶望の音が鳴るのを聞く以前に、悲鳴を上げていた。
「いだい!痛いって!ねぇやめて!やめ…ギャッ!今の絶対わざとでしょ!?やっ!関節を逆方向にやるのやめろぉぉおい!」
「あらら、お気に召さないようで」
「当たり前だァッ!整体の本ちょっと読んだぐらいでまともに出来るかよ!」
しかし、彼がそう叫んだところで、男は全く手を緩める気配が無い。
彼は自衛のため、いや、男を痛い目
に合わせるため、彼自身に備わった"能力"を使うことを決めたようだ。
その能力とは——
「もう僕怒ったからね!絶対に後悔させて土下座させてやるッ!」
彼の目が輝いたかのように、男には見えただろうか。
「おや、これは…」
一瞬の内に、二人の位置関係が逆転していた。
偶然でも、何でもなく、彼が状況を転換させたに違いない。
それも、他ならぬ彼自身の"能力"だった。
しかし、彼の姿形といえば、端から見ればどう見ても、男児。子供。小学校低学年!
対して、男はすっかり成長し切っているような上に、なかなか背が高いのである。
つまり、実際はこうである。
彼は羽交い締めをした状態で、足を浮かせていた。
分かりやすくいえば、捕まってぶら下がっているようなものである。
「…」
「面白くないですよソレ」
「うるせーッ!」
彼は手を離すと、足からストッと地面に着地した。
やや恥はか
いたが、破壊の大失敗整体から逃れることは出来たということに、彼は安堵したようだ。
「もうなんなの?思考回路が理解できないんだけど。頭イカれてるの?」
「それはよく言われますね」
「そりゃあそうでしょうねッ!普通謝るよねぇ!?それなのに的確に痛みを与えるような整体になるのが理解できないんだけど!」
「あなたが突っ掛かってくるのがいけないんですよ」
「テメェがそんなメンドイ奴だと思わなかったからだよッ」
彼は改めて男の顔を見上げて睨み付けた。
薄ら笑いを浮かべたその顔は、残念だが造形は悪くない。
気が済むまで罵ってやろうかと彼は思い口を開くも、これ以上何か言ったところでまた気持ち悪い対応をされるだけと判断したようだ。彼は閉口する。
落ち着いて現状を見れば、どっぷり日は暮れて、街灯の輝きが色濃く彼らを照らしていることに、恐らく彼は気付いた。
程々に冷えた空気を喉に通しては、彼は言った。
「無駄な時間掛けた。さよなら最
高に平凡な気違いさん」
何か言ってやろうとしたようだが、それは訳の分からない一言にしかならなかった。
さて、その後彼はどうしていたのかといえば、相変わらず外をフラフラとしていたのである。
暗くなっても尚外に居続けなければいけない、だが子供のような見た目の彼は、連れ去られたり保護されたりしそうなものではあるが、発生の頃より設定されたある能は、常に彼を一人ぼっちにさせていた。
基本的には周りに人が寄らなくなるのである。
それは彼が隠密に行動しやすくなるために必要なことなのだろう。
いや、そのような存在は彼だけでなく、彼が存在する世界にはまだ数人かいる。彼らは勿論面識どころか、連帯もある。
例えば、この少年。
「なんだ、今日はやることは無いのか?お前」
彼はその声が聞こえた途端に、目の色を変えた。そして、目の角を丸くして、瞳に好意の光を湛えた。
「あっ、ニュートさんっ!」
先程ぶつかった男に対する態度とはまるで
違うのが分かるだろうか。
ある特定の人物に対して以外は、必要が無い限り突っ掛かるような態度を取る。
彼はそんな人格を有しているのだった。
所謂、猫被りな性格なのだ。
そして、彼の想い人こそが、この「ニュートさん」と呼ばれた少年なのである。
「今日はですね、やることが与えられてないんですぅ」
「嬉しそうに言うことでも無いだろ」
「そうなんですか?僕そんなに嬉しそうなんですか?まあニュートさんに出会えただけで今日はもうハッピーデーなんですけどねっ!」
「…あ、すまんな俺まだやることあった。また今度な」
「ええーっ!もう行っちゃうんですか?」
彼より少し背の高い少年は、すぐに立ち去ってしまう。
それを彼は引き留めるように声を掛けたが、少年は手を振って走っていった。
また彼の周りにシンとした空気が佇む。
彼は面白くなさそうに、目線を地を装飾する石に泳がせて、適当なベンチに腰を落とした。
さて、彼が居るこ
の場所のことについて、少し書いておくとしよう。
重要かどうかはともかくとして、わたし自身がこの場所が好きなのだから、割愛はしないで書いておきたい。
その場所の名前は、知らない。ただ、白い石の広場と呼んでいる。
そのまま、白い石で舗装されているからに違いなく、その石は大理石なのかもしれないし、チョークなのかもしれない。わたしには分からない。
夜になると、青白い月光と、橙の街灯が交差し、その白い石たちがめいめいに輝く。
雲一つ無い夜空だったなら最高だ。おまけに星もよく見える。
当然だが、こんなもの、ある季節になれば、男女二人組が夜にわんさか来る。
いわばデートスポットではあるが、今は静かだった。
——ここから話は戻る。
彼は地面のある一点を見詰めて、というよりは、目を動かさないまま、じっとした。
一つの事を考えることに特化したその意識は、何も考えないことを許さないようで、常に稼働し続ける。
果てに意識が疲弊した時、休息
に陥ることこそが、彼にとっての眠るときであり、意識さえ問題が無ければ、動き続けることが出来る。
稼働し続けないとしたら、それは意識の減衰に当たり、意識の消滅、我々においての死に繋がるのだから、使い切るまでは休むことは出来ない。
その上、彼の"能力"の発動も、意識の稼働によりもたらされるものなのだから、動き続けるより他に無いのだろう。
彼は、考えた。
考えて、気付いたようだった。
人の気配が、近くにあることに。
「誰」
彼はベンチから降り立ち、辺りを見回した。
その気配は次第に強まっていくようで、だからといって、はっきりする訳でもない。
例えば大きな鏡の中に、鏡張りの部屋に入れられたかのように、人の姿が見えるのに、誰もいないような、妙な感覚らしい。
「誰かいるんでしょ?隠れてないで出てこいよ。僕は逃げたりなんかしない!」
「隠れることこそが、僕の特技だとしたら?」
「!」
「隠れていなく
ても、隠れて見えないようですからね」
彼は、確実に声を感じたらしいが、声の主が何処に居るのかが掴めないままでいた。
「まあ、かつては、なのですけどね。…僕は独りだった」
張り詰めた糸が切れるように、プツンと辺りの景色が変化して見えた。
彼は目を見張る。周りには、幾人もの同じ顔に同じ背丈に同じ格好の、彼の姿が、彼自身と同じように、目を見張っていた。
それは、まさしく鏡張りの部屋。
彼はこの状況を、どう打開していいのか、全く分からないでいるようだった。
「あなたは誰でしょうか」
「あなたは何処の誰でしょうか。自分は何者なのでしょうか」
幾十の彼の姿が問い掛ける。
一人たりとも、微々たるずれ無く、幾十の声が彼の意識を揺さぶる。
「僕は——」
彼はふと目を閉じる。
(……自分とは何者か、お前は誰だ。そんな自我の壊し方、あったかな——僕はそれ以前に、自分が何なのか、最初から提示されているから、考える
までも無いんだよね)
次に彼が目を開いた時には、彼の目には確実な意図が光った。
——転機——
「結局虚像でしかなく、形だけしかないテメェらなんかに、僕の意識を揺さぶれるハズもない。僕には確実に目的と実態が与えられているから」
彼は、鏡から脱すると共に、何者かと立場が逆転した。
仕掛ける側と、仕掛けられる側とが、入れ換わったのだ。
「…付けてたんだ。気持ち悪い奴」
浮かんだ窓のような風貌の姿見を覗いてみれば、その中には先程の妙な空間と、そこに亡霊の如く突っ立っている、一人の男が見えていた。
そう、夕方辺りに彼がぶつかった、あの男である。
「誰なのテメェ。まず名乗って貰おうか」
すっかり鏡を乗っ取ってしまった彼は、普段より低い声で言った。恐らく、大層機嫌が悪いらしい。
「まさか、僕が鏡の中に入ることになるとは思いませんでしたねぇ」
「速攻で名乗れ」
そして、鏡の部屋の壁たちは、男に向かってにじり寄
っていく。
さもなくば押し潰してしまうぞ、とでも言うようだ。
すると男は観念したのか、口を開いた。
「…ヘンリー、です」
「何処の?」
「ああ、ヘンリー=クオリー………こんなもので良いですかね…」
明らかに怯え始めたその男を、彼は無表情で目だけ動かして鏡越しに見下した。
「特定できないんだけど。馬鹿なの?クズなの?気違いなの?」
「ああ…」
「へぇ、気違いの価値の無い人間なワケ?それでいいよねヘンリー君」
「それは…」
「この僕に名前を呼ばれて、その上君づけされてるだけ幸福だと思えよ。いくら妙な部屋を作れたって、結局は無力な人間じゃないか。いっそ土下座してくれよ気に障る」
ぶつかった時の恨みを晴らすかのように、続けざまに罵倒を続けた。
「さあ、跪けよ。ここから出たくないのか?」
「…」
「もしかして泣いてる?ああ、こうやって操作するんだぁ。拡大出来るんだねぇ。凄いや、大の大人の泣き顔が
よく見える」
彼が、鏡の使い方も分かり、調子に乗り始めていた、その時に、男は何かを呟いた。
「……悦」
「…は?」
「僕が土下座したらそれで終わりですか。僕がひれ伏したらあなたは満足してしまいますか」
「は、早く出たいならそうするべきだろうさ…だからさっさと…」
彼は男が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
ただ、少し嫌な予感がしたようだ。
「じゃあしません。続けてください、是非とも!」
「は?!」
「分かりませんか?僕は感極まって涙しているに違いないんですよ!」
「何なの気持ち悪い……さっきからずっと意地悪してるの分かんないの?」
「子供に虐められる大人の立場って凄く屈辱的ですからね!なかなか体感し得るものでもないですよ!」
「……」
「…もういいメンドイ」
彼は鏡を手で持って、地面に叩き付けた。
この鏡はあの空間の本体であり、叩き割れば空間は存在を維持出来なくなるのだ
という。
叩き付けた鏡の破片は、蒼い針状の水晶に姿を変え、白い石の舗装に緑の影を落とした。
「あれ、まだ僕土下座してませんよ」
元のところへ戻って来れた呑気な男は、まだ何か不服そうであった。
「もういいんだよッ!テメェは本当に頭がイカれてる。こっちまでイカれそうなぐらいに」
「殴りますか」
「……何でかこんな不本意な感じになるのは気に食わないけど…!」
彼は、屈んだ男の顔を、全力で殴った。腹も蹴った。
「…力弱いですよね。見た目通り」
「僕は普段は暴力を振るわないんだっての。力は普通の子供と一緒さ」
男を殴って気が済んだのか、彼は落ち着いていた。
「そうなんですか……あ、一つ聞いて良いですか?」
何だ、と彼は言おうとした辺りで何か聞き忘れたことがあったのではないかと思い出した様子だった。
「まずは、僕の方の質問聞いて貰える?ヘンリー」
「はい?」
「何で僕を付けて、あの鏡の部屋に閉
じ込めたの?」
彼がそう聞くと、男はそんなことか、とでも言わんとしたような態度で、答えた。
「ああ、それは、ただの興味本位ですよ」
「は?興味本位?」
「はい。人をあの状態に置いたら、どうなってしまうのか、気になりませんか?大抵の人が精神崩壊してしまうんですけど、一人一人壊れ方も違って——」
「ヘンリー、アンタは血も涙も無い鬼なの?」
「血も涙もある生身の人間ですよー」
「まあ確かにさっき泣いてたけどさ…」
ふにゃりと笑ったまま、続けて男は問い掛けた。
「さて、あなたは、何者なのでしょうか。何故鏡から出ることが出来たのでしょうか。それが僕の質問です」
「…はぁ、話さなきゃ駄目?」
「別に話さなくても良いのですが、このままだと僕は気になってあなたを付けてしまいますね。まだまだ興味が尽きませんから」
「へえ…だるそうだなぁ…メンドそうだなぁ…」
「どうしますか?」
「でも、それは出来ない。言おうとして
も、喉がつっかえるだけだからさ」
「…そうですか」
一筋の冷たい風が吹く。
夜は更け、満月が随分高く見えた。
(…寒い。何処か室内に行きたいなぁ)
「そういえば、あなたのお名前を伺っていませんでしたね」
「どうせそれも喉がつっかえて言えないだろうけど」
「何て呼べば良いのか、わかりませんから」
「あー、言ってみるだけ言ってみるか、減るもんじゃないし……僕の名前はね——」
「——テンキ、とでも呼んでおいてよ」
彼は、言えないと思っていた自分に割り振られた名前を、言うことが何故か出来てしまったのだった。
この男、ヘンリーが、しばらくの相方になるだなんてことは、今の彼は全く知ることは無かったのだという。