コロナ禍で回数が激減した車中泊旅を復活させようと、
今回は、三重県津市の歴史を紐解くために、
まだ明けやらぬ未明に車を走らせた。
主な内容は下記のとおりである。
【1】城下町「津」阿漕の由来
【2】寺内町「一身田」歴史街
【3】319m「長谷山」ハイキング
今回も上記の3分割で投稿する!
毎回写真の枚数が多いので、
今回は意識して少なくした
上記の案内地図のコピ-を持って、
出発地点は違うが、ほぼ忠実に
この散策コ-スを巡ったのだ
スマホに頼らず、迷えば人に聞く
昭和レトロな本来の旅は、
旅本来の楽しさを享受して止まない。
こう言う「旅」のやり方は、
昭和レトロな自分自身の
捨てようの無いやり方である
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城下町「津」阿漕の由来
いよいよ現地に着いたのは「8時20分」で、
さて、二度と来ないであろう「津市役所」前を通過し、裏側にある「津城跡」に入って行くと、八重桜が迎えてくれ、お堀の石積みだけが残ってるのを確認し、中へ入って行くと戦国武将「藤堂高虎像」がひときわ目を引いた。
「藤堂高虎像」がなぜここにあるのかは、歴史に詳しい方なら解っておられるので、説明は省略する。
城址を一周散策して、違う出口から出るとそこには「櫓」が再建されて、なかなか見事な景観を魅せてくれた。
あいにくと黄砂と曇りが重なって、
ブル-バックではないのが残念だが、
テンションは高いままである
橋を渡って次に向かったのは真教寺「閻魔堂」である。確かにこの「閻魔様」を見れる寺は少ないので、迫力ある姿にじっと手を合わせ。
そして最も古い家並みが残ってるのもこの辺りであった。他の重伝建地区の古い家並みも多く見て来たが、またちょっと違った建て方で保存状態も良く、今でも人が住んでる現役である。
すると途中には「藤」が綺麗に咲いてる光景を発見したことで、桜の後にすぐこの「藤」の季節がやってくるのだ、という事を意識させてくれた。
また近々に「藤特集」を組む時が来た
次に向かったのは由緒ある「結城神社」だ
「結城神社」に着くと、境内は広く職員の方が掃除をしていた。そして目立って心惹かれたのが迫力の「狛犬」であった。「日本一の狛犬」と銘打って、有名な人の作品であると書いてあった。この鋳銅製の狛犬は、筋肉の盛り上がり方や、前足の太さ、眼光鋭く、口元恐怖の風貌は、石造りでは表現できない細かさと、洗練された動きを感じる造りは圧巻であった
さらに拝殿の横にある広い「梅林」の、一歩一本の「梅の木」の剪定の仕方が、プロ仕様であったので職員さんに聞いたら、毎年花が咲いたらすぐにプロに頼んで剪定をしてもらう、とのことだった。
ネット検索したが、300本の枝垂れ梅の満開時は圧巻の光景。 👇下記をクリックしてご確認あれ👇
丁寧に拝殿前で参拝し、色々教えてくれた職員さんにお礼を言って後にした。
さて次に向かうは、「阿漕塚」だ
あこぎつか
ネットで調べてみると本当は親孝行の為に、やってはいけない事の手を染めていくよいう、涙の物語であった。
下記には詳しく説明してある。
ここで一人のおばさんとの出会いがあったのだ。
この「阿漕塚」に来るまでがややこしくて迷ってるときに、丁度信号待ちしていると、ひとりの小柄なおばさんが来たので、場所を聞くと、偶々家と同じ方向だったので「案内しましょうか」と言ってくれ同行してくれたのだ。道中は色んな話をしながら約15分も一緒に来て案内してくれた親切には、この昭和レトロなおっさんには、こみ上げて来る嬉しさを感じた。
もしスマホを開いて確認していればこのような情景は無かったのである。
これがあるからスマホ頼りはしないのだ
今の若い人はスマホに慣れ過ぎていて、人と話をするよりも、と言うか、すぐにスマホに手が行く時代なのだという事はよく解っているが、もっと人との関わり合いを大事にしてほしいと、いつも願う「昭和レトロなおっさん」なのである。
そしてさらに「阿漕な真似!」
は決してやってはいけない、
という事をつけ加えておきたい
あの「藤堂高虎」を初代藩主に、歴代の藩主の巨大な墓を「五輪塔」にしたて、並んでる光景も又「エエッ、ナニコレ!」と言わしめる程の迫力感があった。
詳しくは👇をクリック
国道23号は片側3車線の交通量の非常に多い道で、どこかではいつも渋滞してるという道である。
次に向かうは「津観音」である。
日本三観音(浅草観音・大須観音・津観音)の一つで、開創は709年と伝えられている。そして、木造の五重塔があるのは、三重県ではここ「津観音」のみである。
また自分としては特に目を引いたのは、「雨水枡」ならぬ大きな鉄製の「天水鉢」である。嘉永6年(1853年)のものでこんなに大きな鋳物製は初めて見るので、興味深々であった。
この「サビ錆び感」には、
チビリそうな胸キュン
に襲われた
さて次に向かうは、「四天王寺」だ
さてこの散策コ-ス最終の訪問場所となる
「四天王寺」、は山門も鐘楼門もあり、苔むした庭園に冴える「宝篋印塔」がカッコ良かったのだ。
6世紀ごろ、朝廷の有力者たちは仏教の受け入れをめぐって対立し、仏教の受け入れに賛成する蘇我氏と、日本古来の神社信仰を押し通す物部氏の争いは激化している時代背景の時、聖徳太子によって建立された寺である。
現本堂は昔の面影も無く、新しく建て替えられていた。
👇詳しくは下記をクリック👇
ちょっと足裏に疲れが出てきたころだったが、
また市役所方面に戻って行った
再度「津城址」に戻り、
市役所横にある広大な公園に寄って一周し、
市役所前を通過して車に戻った。
上の地図では場所確認ができにくいために、下のように場所名が解る地図にして掲載した。
この【城下町「津」の古の史跡】巡りは、「12.1km/4h17m」という結果になったが、初めから終わりまで延々と黄砂と曇り空のWパンチで写真写りは悪いが、当の本人は逆に、気温は上がらず、汗もかかずにのびのびとウォーキングが出来たたことにテンションが上がったのである。
何よりも、初めて来る「津市」とは如何なるものか?!
という疑問に答えを出すべく挑戦した「12km」だったのだ。
初めての地を知るためには、
やっぱり時間をかけて歩くことが、
何よりも勝る行動である
と思った今日この頃・・・・
この後すぐに寺内町「一身田」に向かった
【津②】「一身田寺内町」歴史跡
に続く➡➡