専徳寺の「雨水桝」! | 紀泉伝次郎・趣味のブログ

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今日の「散歩タリング」は泉佐野コースだが、途中で寄る場所として泉南市の浄土真宗本願寺派「専徳寺」にある安政4(1857)年に地元の有力者により贈られた独特な模様が入った珍しい「雨水桝」を見に寄ってみた。

「専徳寺」の「雨水桝」

江戸末期の名石工 奈良利・作

奈良利とは「奈良屋利兵衛」のことで、江戸時代末期に最も活躍した樽井村の石工であったと伝えられている。

さて、何と今日は風はあるが、晴天なので、「泉南里海公園」に寄って絶景を堪能した後、南海と並行して走ってると電車がきたので止って慌ててカメラを出し一枚撮った。南海電車を撮るのは珍しい事だ。

一気に泉南市にある浄土真宗本願寺派「専徳寺」を目指しやって来た。お目当ては名石工 奈良利・作の「雨水桝」だ。

こじんまりとした境内は綺麗に整備されていて気持ちがええ。屋根は吹き替えてまだ新しい。

本堂の前の両脇に雨水を受ける「雨水桝」があった。

正面には、枠いっぱいに桐と菊の紋様が一面に彫られていて、ちょっと笑える表情でええ感じの力士4人が四隅をしっかりと支えていた。桝の裏側には安政4(1857)年の年号が入っていて興味深い。

大体の寺にはこの「雨水桝」があるが、江戸時代末期に最も活躍した樽井村の名石工である奈良利つまり「奈良屋利兵衛」の作となれば歴史的価値が上がる。

しかし境内のどこにも「案内や看板」が無かったのが残念である。

それにしてもローカル的だが「ええ勉強」になった

ここからは旧国道26号よりは山側に行かずに、ひたすら旧道を走って「りんくう公園」を目指す。すると途中ではなかなか立派な旧家があったのだ。造り酒屋であったのか、玄関前には「杉玉」が掛けられていた。1Fは茶色の色合いも良く、格子が長く並び、2Fは白漆喰に虫篭窓、最高の保存状態である。こういうのが好きで、もう何ヶ所も「重伝建」を歩いてきた自分にとっては「よだれが出る程!」テンションが上がるのだ。

サ-いつものように「りんくうシークル」に着いた。

大観覧車は、「大きなダイヤモンド・リング」と化し、

泉州のシンボル、ゲ-トタワ-は「ヤシ」と背比べ、

通路は春を感じる何色もの「パンジ-」が咲き乱れ、

雲一つないブル-バックに感動的に冴えわたる。

「りんくう公園」のいつもの関空道が伸び、関空が一望できるベンチは空いていた。暫しベンチに座ってこの絶景を堪能していたら、着陸態勢に入った飛行機が見えた。

サ-ここからは海岸線沿いを行く「ルーティン・コ-ス」を戻って行くが、いつものあの場所で「ドリップコーヒ-」は欠かせない。今回は「沸騰」するのに時間はかからなかった。石のベンチをテ-ブルにして、目の前に広がる絶景を楽しみながら飲む「煎れたてのコ-ヒ-」は「堪らん!」。約30分たっぷり休憩して、後ろ髪をひかれながらも出発した。

「田尻スカイブリッジ」下の釣り堀は、人が少なく閑散としていたのにはびっくりだ。いつ来てもわんさか押し寄せた「釣り人」で賑わっているのに、一体今日はどうしたのだろうか?!

久しぶりに「ヨットハ-バ-」に寄って、「田尻スカイブリッジ」の雄姿を堪能した。

今回も「泉南マリンブリッジ」を通過して、橋の中央部から下を覗くと「鴨の一個連隊」が座り込んで羽休めをしていた。

こんなにええ天気なのに「泉南ロングパ-ク」でも人出が少なく閑散としていた。

やっぱり「オミクロン除け」だろうか!

尾崎団地裏に来たらいつも休憩する場所が決まってる。客を乗せた「釣り船」が戻って来た。

「里海公園」に戻ってきて、「トマトジュ-ス」を飲みながらスマホのチェックをして、帰路に着く。

やっぱり「アウトドア」な行動の良し悪しは、全て「ブル-バック」におんぶにだっこである。

今回の「散歩タリング」は、

江戸末期の名石工「奈良利」作の

「雨水桝」でいろいろ勉強になったし、

造り酒屋の整った格子、白漆器に虫篭窓

が特にインパクトが大きく印象に残ってる。

 

近隣ディスカバリ-の「散歩タリング」は、

心身共の元気をくれるベストアイテムだ!

 

ゆく河の流れは絶えずして、

しかももとの水にあらず

(方丈記・鴨長明)