アルツハイマーとパーキンソン病で
ほぼ寝たきりになった母。

毒母だった母。
だけど、私を育ててくれた母。

長く長く母を恨むと言うか
母の事が嫌いだった。

今、元気な頃の母とは真逆になってしまったからかも知れないが、 もう母への嫌悪感は消えた。
多分、あの嫌悪感を乗り越えるために
数年間母から遠のいたから
自分の中で整理がついたのかもしれない。

数年ぶりの母は、既にアルツハイマーが始まっていた。

しばらくして私は気が付いた。

もう母の手料理が食べれない。

母の手料理は
とても美味しかった。
料亭の味、みたいなおいしさではない。
でもそれに負けないくらい
出汁が命の料理だった。
基本醤油と砂糖でごまかす味ではない。
お味噌汁もかつおだしのいい匂いがした。
玉子焼きはいくらでも食べられる出汁巻き風。
魚を焼けばふっくら。

戦時中、兄姉、弟妹達の世話を一身に背負ってきた母。
父と結婚したら、諸々あってどん底の極貧生活。
八百屋さんで売り物にならない様な野菜をもらっては料理をする。
3人の子供達を食べさせないといけない。
だから料理を工夫する。
当然料理の腕が上がる。

ジュースなど買ってもらえなかった。
母はコーヒー牛乳を鍋に作って冷蔵庫に冷やしてくれた。絶妙なバランスのコーヒー牛乳だった。
レモネードも鍋に作って冷蔵庫に冷やしてくれていた。これも絶妙の味。

ジュースはお玉ですくってコップに入れて飲むものだった。
全然不満に思わなかったのは、本当に美味しかったから。

母の作るふきご飯
里芋ご飯
無限に食べた。
天才的。
これは、ちょっといいお店の最後に出てくる炊き込みご飯より、数百倍美味しかった。

もう作ってもらえない。
私はもう母親の作ったご飯を
食べる事はない。

それが想像以上に悲しい。

ぼんやり目を開けている母に
「もうお母ちゃんのご飯食べられへんな。悲しいわ。
頑張って元気になってふきご飯作ってよ!」
そう言って笑いかけると母は
「え〜?何がや〜?」
と、昔からずっと優しかった人の様に微笑む。

嫌な母だった。
トラブルメーカーだった。
私を産みたくなかったと繰り返し父に怒っていた母だった。

でも、私の身体の中に
そんな母が作ったご飯の味が染み付いている。
義母の手料理にげんなりするのは
母の手料理を食べてきたから。

無理な事は分かっていても
母が作った料理が食べたい。







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