9日日曜日。

彼女の一周忌法要を済ませた。

この日まで、私は少し不安定になっていた。
様々な事を思い出して苦しいのに、相変わらず旦那の攻撃的な態度。
法要の為に東京から帰ってくる娘の事を鬱陶しがって、親である私に嫌味。
法要の準備を早くしない息子に対して彼女のお父様から電話とメールの嵐。
この先の法要についての認識の違いが許せないお父様からとうとう手紙が届き、私は何とも噛み合わない両家の溝を感じ、悲しいやら腹立たしいやらで…。

そして迎えた一周忌法要。
先に着いていたお母様が迎え入れてくださった。
私はお母様の事が本当に心配で仕方なかったので、顔を見た瞬間に
「お母さん、大丈夫でしたか?」
と言った。
お母様は途端目に涙かいっぱい溜まって
「なかなかねぇ。」
と言葉を詰まらせた。

この一言でお母様がどんな1年を過ごして来たのか分かった。
胸が痛くてたまらなかった。

うちが持参したお花を見て、お母様が
「きれい!しーちゃんのイメージやね。しーちゃんが好きそうな色のお花やわ。喜ぶわ。」
と本当に嬉しそうにして下さった。

りっくんは…
私と娘はお経を嫌がるりっくんが心配だった。
『思い出すのではないか?』
そんな心配をしていた。
前日娘がりっくんに話をした。
「りっくん、お話があるねん。明日みんな黒い服を着て、お坊様がお歌を歌うねん(お経の事をお歌とりっくんは表現する)もしも、りっくんの心が辛かったり悲しい気持ちになったらお外に出たいって言っていいからね。」
そう言った。
りっくんはけろっとした顔で
「わかった!」
と言った。
そして私はりっくんの気持ちが軽くなるように
「りっくん、悲しくなったらばぁちゃんのお腹を見たらいいよ!ばぁちゃんのお腹ブヨンブヨンって揺れてるから!」
と笑って言うと、りっくんもケラケラ笑って
「わかった!」
と言った。

事前に話しておいたのが良かったのが、りっくんが成長したのか、1時間半の読経の間、少しうとうとして寝てしまったがすぐに起きて自分から椅子に戻ると言い、最後までおとなしく座っていた。
食事の時ですらじっと座れない多動気味のりっくんが1時間半も座って入られたことに本当に驚いた。

あの時の通夜、葬儀では1分も座っていられず外に出てしまい、娘が追いかけ回していたのに…。

今回からお世話になることにしたお寺のお坊様のお経は本当にきれいなお経で、心が静まりふっと軽くなるような気持ちがした。

法要は問題なく終った。

問題はこの後の食事会だった。

これは宗教的な話なので書くのを控えるけれど…
こちらの言いたい事、考え方は話した。
お母様が本当にこちらの気持ちを汲んで下さり、娘と涙しながら聞いた。

お母様は
「しーちゃんの最期の言葉は『どんな事があってもゆうちゃんとりっくんとあの家で一生暮らしたい』やったんよ。その気持ちを1番に考えてあげて。」
とお父様に涙で訴えて下さった。
「お花を見てもわかるでしょ!しーちゃんの事を何より考えて思ってくれてるのわかるでしょ!」
「私達が1週間も面倒みれないりっくんを一生懸命育ててくれてるのわかるでしょ!」

ずっと涙で…
宗教的には本当に罰当たりなうちの考えを…
ひたすら庇って下さった。

殺してやりたい位の思いがあって当然なのに、罵って罵っても足りないくらいなのに…。
お母様はきっとこの一年、そんな風に考える事によって娘の自死を納得させようとして下さったのだと、出てくる言葉を聞きながら本当に申し訳なくて悲しくて苦しくて…辛かった。

きっとお父様にとっては最悪の一周忌になってしまったかも知れない。
でも心の奥の『信仰心』にズカズカ踏み込んできて強制しようとし、私の親の宗派を侮辱し否定し続けた。
私はこの数ヶ月どんな思いだったか。
こんな『彼女の死』とはかけ離れた揉め事がどれほど嫌で不愉快だったか。

私達は彼女の事を忘れない。
彼女が遺したりっくんをとても大切に思っている。
形だけではなく『心』を大切にしたかった。
りっくんだけでなく家族みんなの、日々形を変える彼女を想う『気持ち』、苦しみ悲しみの方が大切だった。

とうとうお父様には理解して頂けなかった。
納得していないから、初盆に向けてまた私達のやり方は間違っていると攻撃し、私の宗派を否定してくるだろう。

この国の『宗教の自由』は嘘なのか?
守らなくて良い憲法なのか?

また彼女の『死』と関係ないところで頭を悩ませ、不愉快な思いをお互いにするのかと思うとほとほと疲れてしまう。

しーちゃん、ごめんね。
本当にごめんね。


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