辛い表現が出てくるかも知れません。
つらくなってしまう方は飛ばして下さい。
















2016年 7月15日

朝、私達はまた1時間半近くの斎場に向かった。

彼女の実家の近くの家電量販店の前を通った時、息子がボソッと言った。
「ここよくしーちゃんと来たんよなぁ。あのテレビのケーブルもここで買ったやつやと思うねんなぁ。」
ケーブルを買った事を後悔しているような声だった。
それを買ったのが悪かった訳ではないよ。と思ったが言葉にならなかった。

部屋に到着した。
何時から葬儀が始まる事になっていたんだろう?
何一つ覚えていない。

ただ…彼女はそこにいた。
もう何も話さず、泣く事もなく…
彼女はそこにいた。

「しーちゃん。しーちゃんの人生まだまだこれからやったんよ。今はつらくても死のうと思った事がバカらしく思える時もきっと来たんよ。なんで死ぬ事しか考えられんかったん?なんでひとことメールして来てくれんかったん?」
心の奥でずっと彼女に話し掛けていた。

葬儀など始まらなければいいのに…と思っていた。
火葬するまでは彼女の姿は残る。
彼女に触れる事ができる。
そんな事をぼんやり考えていた。

そんな非現実的な事が通るわけも無く、静かに読経が始まった。
手を合わせながら
『ごめん』
を繰り返していた。
彼女の34年の短い人生を想った。

『しーちゃん、何の為に一生懸命勉強して来たん?何の為に仕事頑張って来たん?子育てが一段落したらしーちゃんのそのキャリアを活かす事も出来たのに。何で鬱なんかに負けるの?』
辛すぎた。

でも正直、自分の事や息子の事を棚に上げて、しーちゃんに『うちも同じやで!パチンコするし帰って来ーへんし。口もきかへんで!』と言った後Facebookで妊娠を報告した友達2人。
退院した車の中で彼女は泣きながら
『同じやって言うてたのに…』
『嫉妬が止まらないんです』
『こんなに子供が好きやのに』
と言った。
ODをした原因もそれだと言っていた。

原因はいろいろあったと思う。
でも…彼女の『死』のトリガーを引いたのは、この出来事だったと…もう動かない彼女を見ながらそう思った。

『せい』にするつもりはない。
でも…あれさえなければ、息子の考え方や態度、二人の仲、育児のストレス諸々ゆっくり解決していけたかも知れない。
現に彼女は義実家であるうちの近くに住む事にも徐々に前向きになっていた。

でもやはり私が悪かった。
やはり私は彼女に『ごめん』としか言えなかった。

彼女を着替えさせて頂き、納棺した。
最後だ…心が壊れるかと思うほどの辛さだった。
お花を入れた。
息子が用意していた写真を思い出エピソードを語りかけながら入れていった。
思い出の品も入れた。

そしてりっくんにお別れをさせた。
「ママにバイバイって…」
と息子が言うと
「ママ、バイバイ」
と言って初めて泣き顔を見せた。

最後の最後、息子が
「しーちゃん、ごめんな…」
と、彼女の顔にキスをした。
お義母様が、堪え切れなくなったんだろう…。
「そんなん…生きてる時にしてあげて欲しかったわ!」と絞り出すような声で言い、泣き始めた。

それだと…
本当にそれだと私も思った。

彼女が夜中泣きながら電話をして来た時、
「ゆうちゃんに『辛い時に抱きしめてくれるだけでいいんだよ』って言ったんです。」
と言っていた。
それすらしていなかった息子。
2人のズレがこんなに悲しい結果を生んでしまった。
知っていながら全力で修正する手伝いをしなかった。
今更遅い後悔を繰り返していた。

さっきまで同じ空間にいた彼女が納棺され、蓋まで閉められ、彼女1人で私達から離れて行った。
「何でこんな事になったん?」
まだそんな事を考えていた。

数時間後には、もうあなたの顔を見る事も出来なくなるんだね。
しーちゃん…これは辛すぎるよ。

私達は火葬場へ向かった…。
梅雨が明ける前の暑い日だった…。