彼女が鬱病を発症した。
結婚当初懸念していた事が現実となった。

彼女からのメールも無くなった。
会うこともできない。
彼女はりっくんの児童発達施設の送迎の為ひとつ西側の駅までも行けなくなったそうで、彼女のお父様がほぼ泊まり込みで送迎をする事になった。
それも後日知った有り様だ。

これも歯車を狂わせたひとつなのかも知れない。
彼女のお父様の頑固さは息子の性格と合わない。
息子が5歳で離婚し、息子は父親の厳格さみたいなものを全く知らず、家の中はいつもまったりしすぎていて緊張感のない環境で育ってしまっている。
私がそう育ててしまった。

息子はりっくんの運動会もお父様と行ったらしい。
これも後日知った。
りっくんは言葉がうまく出ないのと感情のコントロールが下手なのとで他害があり、時折ヒステリーを起こし彼女を噛んで、彼女が出血するとこもあったらしい。
泣いて彼女は母親に電話する事も何度かあったらしい。
お父様はそんなりっくんを
『頭がおかしい!病院で診てもらうべきだ!』と憤慨し、児童発達施設に相談したりしていたらしい。
それも後日知った。

お父様から泊り込みの送迎が負担になり、私達も手を貸して欲しいと連絡があったのは、そんな生活が1ヶ月続いた頃だった。

私達は息子の家の近くの喫茶店で待ち合わせをした。
お父様は穏やかにいろんなお話をされたが、要は息子が出来が悪すぎる。息子がどうしようもない。と言う話。
彼女は病院の医師から入院しなさいと言われており、麻酔をかけて脳に電気を当てる治療をした方がいいと言われていて、その件に関して
知り合いの息子が精神病で入院し、何年も監禁状態で退院させてもらえなかったと聞いたので、入院は断固反対。
電気の治療に関しても反対。

その時に私は息子も発達障害であった可能性が高い事を話そうと思ったが、りっくんの遅れに関してもあまり理解がなさそうだったので言えなかった。
息子なりに幼い頃辛い思いをして育った事、『父親』となったが『父親』とはどんなものなのか?がおそらくわかっていない事を話した。

お父様は話が進んできた頃、突然
「夫婦はセックスをしないといけません!」ときっぱり言った。
人の目もあり、私は少し恥ずかしい気持ちになりながら、あぁ、それが鬱の根本にあるんだなと思った。
彼女はセックスレスで愛情の確認ができなくなり不安になっているのかも知れない。

そして11月からの金曜日は朝8時30分にりっくんを迎えに行き、駅まで送り16:30に駅まで迎えに行く事になった。

その頃うちには2匹の愛犬がおり、そのうちの1匹がその年の6月から脳疾患で寝たきりになっていた。
寝たきり君と呼ぶが、その子は本当に私に懐いており鬱期は私のそばに常に寄り添い癒してくれる子だった。
寝たきり君の介護(脳疾患なので時間など関係なく鳴きまくる)は旦那と私、時間帯で担当を決め世話をしていた。
薬や食事など細かくて手間のかかる事は全て私がしていた。
だから正直この送迎は、りっくんが可愛いからとか彼女が鬱病でしんどいだろうからとか、そう言うのは飛び越えて私にとってとても身体的にも精神的にも苦痛でもあった。
とにかく私自身10分でも時間があれば横になるとかぼんやりテレビを眺めるとか、そう言う事をしないと仕事と介護はしんどかった。
その上私の母がパーキンソン病を発病してしまい、高速を3時間飛ばして行かないといけない所に住んでいたので、寝たきり君を旦那にお願いしてそちらにも行かないと老老介護の為心配だった。

それでも1週間に一度だし、こんな事になってしまったのは息子が至らないのが大きな原因だし、お父様はそれからも日曜の夜から水曜の夕方まで頑張って下さっているし、彼女の助けになるなら、りっくんの気晴らしになるならと頑張ったつもりだった。

でもさすがに躁状態とは言え私もどんどん時間のなさに追い込まれていた。
これは私の病気に全く理解のない旦那も悪いと思うが、本当に疲れていた。
それに大事な寝たきり君も、徐々に弱って行くのがはっきりとわかっていたので『いつ旅立ってしまうのか?いつ私の元からこの子がいなくなるのか?』と不安で押しつぶされそうにもなっていたので、私の頭の中はビー玉をバラっとばらまいたような状態だった。

そんな中、また私は彼女に対してどうしたらいいのかわからなくなる出来事が起こる。





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